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仙台高等裁判所秋田支部 平成11年(う)24号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

第一  本件控訴の趣意は弁護人提出の控訴趣意書に、これに対する答弁は検察官提出の答弁書に、それぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

第二  控訴趣意中、憲法違反の主張について

所論は、まず、農地法四条、五条及び九二条は憲法二九条、一三条、一四条、三一条に違反するものであるから、同法を適用した公訴は無効であると主張する。

農地法は、耕作者の農地の取得を促進し、及びその権利を保護し、並びに土地の農業上の効率的な利用を図るためその利用関係を調整し、もって耕作者の地位の安定と農業生産力の増進とを図ることを目的とするものであり(同法一条)、同法三条は、農地・採草放牧地(以下「農地等」という。)についての権利の設定又は移転を制限することによって耕作者の地位の安定と農業生産力の向上とを図るとともに、農地等の効率的な利用が促進されるようにするために、権利の設定又は移転が私人間の契約によって行われる機会に、適切な指導をなし、土地利用の効率化を期しようとする規定であり、同法四条は、農地が無秩序につぶされて他用途に転用されることを防止して、農地の農業利用上の環境の悪化を防ぐとともに、都市計画法その他の法令と相侯って、国土の有効利用を推進しようとするものであり、同法五条は、農地等の権利の設定又は移転が同時にその土地の用途の変更を伴い、その権利の設定又は移転によって農地等がつぶれる結果となる場合の規定であって、同法三条及び四条の両方の規定の趣旨を併せ持つものである。そして、農地法九二条は、右同法三条ないし五条の違反行為に刑罰を科すという規定である。

農地法立法時から現在までの間に農地を巡る社会情勢に変化が見られることは確かであるものの、右変化にもかかわらず、いまだ「耕作者の地位の安定と農業生産力の増進を図る」必要性は失われておらず(社会情勢の変化に伴い、土地利用を巡る新たな調整の必要や農地の投機目的売買の横行など、新たな問題も発生している。)、右目的達成のために、農地等の権利の設定又は移転並びに転用を許可にかからしめ、違反行為に対して刑罰を科している農地法九二条、四条、五条の立法事実がなくなったとはいえない。したがって、農地法四条、五条及び九二条が違憲であるとする弁護人の主張は理由がない。

また、所論は、適用違憲の主張もするが、右各法条の趣旨、本件事案の内容等に照らし、理由がない。

第三  控訴趣意中、公訴権濫用の主張について

所論は、次いで、本件公訴提起は公訴権を濫用したものであるから無効であると主張する。

しかし、検察官の公訴提起が訴追裁量権を逸脱したものとして無効となるのは、たとえば公訴提起自体が職務犯罪を構成するような極限的な場合に限られる。本件記録上公訴権濫用の事実を認めることはできず、弁護人の主張は理由がない。

第四  控訴趣意中、訴訟手続の法令違反の主張について

所論は、本件公訴は訴因の特定を欠いているというものであるが、本件公訴事実は、要するに、被告人が、佐藤秀明らと共謀して、(一)法定の除外事由に当たる場合でないのに、秋田県知事の許可を受けないで、佐藤において、平成八年三月上旬ころから同年四月上旬ころまでの間、合資会社石戸谷建設及び株式会社花岡土建をして、その施工にかかる工事から出た土砂約四六〇立方メートルを、当時被告人が所有していた秋田県大館市二井田字上四ノ羽出一二九番二、一三〇番、一三一番、一三二番、一三三番、一三四番、一三五番一所在の農地(以下「本件土地」という。)に投棄させ、更に、株式会社カナモト(以下「カナモト」という。)において、平成九年一月一三日ころから同年四月一四日ころまでの間、株式会社イトウをして本件土地に盛土して埋め立てさせ、もって、農地を農地以外のものにした(農地法四条違反)、(二)カナモト大館営業所の新社屋等を建築するため、法定の除外事由に該当する場合でないのに、秋田県知事の許可を受けないで、被告人において、平成八年七月中旬ころ、同市二井田字上四羽出九一番地の被告人方等で、本件土地を八三七三万三一一九円でカナモトに売り渡す旨の契約を締結し、同年一二月一七日、カナモトから右代金を受領し、同月一九日、その旨の所有権移転登記を了してその所有権を移転し、もって、農地を農地以外のものにするため農地の所有権を移転した(農地法五条違反)というものであることが明らかであり、訴因の特定として欠けるところはない。したがって、所論は理由がない。

なお、弁護人は、農地法四条一項違反(無許可農地転用)と農地法五条一項違反(無許可農地転用目的所有権移転)が両立することはないから、両方の違反を訴因として掲げた本件公訴事実は訴因の特定を欠くものであるなどと主張するが、農地法四条一項違反は、無許可農地転用という事実行為を処罰するものであり、農地法五条一項違反は、無許可農地転用目的所有権移転という法律行為を処罰するものであって、これらの行為が両立しうるものであることは明らかである。弁護人は、五条一項違反を行った者が、さらに農地を転用した場合には、五条一項違反で処罰することができるだけで四条一項違反で処罰することはできないようにもいうが、農地法の規定上そのように解釈することはできず、独自の見解であって採用の余地はない。

第五  控訴趣意中、事実誤認の主張について

一  本件公訴事実についての検察官の主張によれば、本件は、大館市議会議員である被告人が、大館市産業部農林課長であった佐藤秀明(以下「佐藤」という。)、同課所属の佐藤の部下三名、カナモト大館営業所所長長崎学(以下「長崎」という。)と共謀の上、被告人が所有していた本件土地の農業振興地域の農用地区域からの除外が秋田県から認められなかったことから、秋田県の決定を潜脱する意思で、法定の除外事由がないのに県知事の許可を受けないまま本件土地を転用することを企図し、大館市が本件土地を被告人から無償で借り上げる使用貸借契約を締結した上、大館市発注の工事を請け負っている業者をして若干の土砂を本件土地に投棄させた後に、雑種地に地目を変更する登記手続を行って、これを被告人に返還したうえ、カナモトに売却する契約を締結して所有権移転登記を了し、さらにカナモトが造成工事を行って右転用の目的を遂げた事案である、というのである。

二  所論は、被告人が本件土地の所有権をカナモトに移転した当時の本件土地は既に非農地となっていたから、被告人に農地法五条違反は成立しない、右所有権移転当時の被告人には、本件土地が農地であることの認識はないから農地法五条違反の故意がない、被告人に農地法潜脱の認識はなく、被告人は本件犯行について佐藤と共謀したことはない、公訴事実によれば、本件土地の転用の実行行為である造成工事を行ったのはカナモトであるが、被告人は、右造成工事についてカナモトの営業所長長崎と共謀したことはないから、被告人が右カナモトによってなされた本件土地の転用行為につき責任を負うことはない、以上によれば、原判決には、右所有権移転当時の本件土地がいまだ農地であると認定したこと、被告人に農地法五条違反の故意があると認定したこと、被告人と佐藤との間に農地法五条違反及び四条違反の行為についての共謀があると認定したこと、被告人に農地法四条違反が成立するとしたことなどについて事実誤認があり、被告人は無罪であるというものである。

そこで、以下検討する。

三  原審証拠によれば、農地転用に関する法規制等について、以下のとおりの事実が認められる。

1  農地法四条によれば、農地を農地以外のものにする(以下「転用」という。)場合には、法定の除外事由がない限り、都道府県知事の許可を受けなければならないとされており、同法五条によれば、農地を農地以外のものにするために権利を設定・移転する場合(このうち所有権移転につき、以下「転用目的の所有権移転」という。)には、法定の除外事由がない限り、都道府県知事の許可を受けなければならないとされている(ただし、一定以上の広さを有する農地については都道府県知事ではなく農林水産大臣の許可を受けなければならないとされている。)。

2  農業振興地域の整備に関する法律(以下「農振法」という。)によれば、都道府県知事は、農業振興地域整備基本方針に基づき、一定の地域を農業振興地域として指定するものとされ(農振法六条一項)、市町村は、右指定された農業振興地域について、農業振興地域整備計画(以下「整備計画」という。)を定めなければならないとされ(農振法八条一項)、整備計画においては、農用地等として利用すべき土地の区域(以下「農用地区域」という。)などを定めるものとされている(同条二項)。また、都道府県知事等は、農用地区域内にある農地等について、農地法四条一項、五条一項などの許可に関する処分を行うに当たっては、これらの土地が農用地利用計画において指定された用途以外の用途に供されないようにしなければならない(農振法一七条)とされているため、農用地区域内の農地を農業目的以外に使用するために転用(もしくは転用目的の所有権移転)すべく農地法四条(もしくは五条)の許可申請をしても許可がなされることはなく、したがって、農用地区域内に存在する農地を農業目的以外に使用するために転用(もしくは転用目的の所有権移転)する許可を得るには、その前提として、当該農地が農用地区域から除外されることが必要であるとされている。これについては、市町村が転用(もしくは転用目的の所有権移転)を予定する地権者からの申出を受けて、既存の整備計画を変更する(右変更によって、当該農地は農用地区域から除外される。)という方法によってなされており(農振法一三条一項)、右変更については都道府県知事の認可が必要とされている(同法一三条三項、八条四項)。

整備計画変更の具体的な手続の概要は、以下(1)のとおりである。また、通達によれば、整備計画変更が認可されるための実質的要件は、以下(2)のとおりとされている(右五つの実質的要件を、以下「変更五要件」という。)。

(1) 手続の概要

〈1〉 地権者が市町村に対し、当該農地を農用地区域から除外するための申請をする。

〈2〉 市町村は、右申請事項を内容とする整備計画の変更について、市町村の担当部課、農業委員会、農協、森林組合、土地改良区などの関係機関、団体との調整を行う。

〈3〉 市町村は、右整備計画の変更について、農業委員会、農協、農業共済組合等の役員等で構成される農業振興地域整備促進協議会(以下「農振協議会」という。)から意見を聴取する。

〈4〉 市町村は、都道府県(出先機関である所轄の農林事務所)に対し、右整備計画の変更について協議を申し入れる趣旨の書面(以下「協議書」という。)及び附属資料を提出する。

なお、少なくとも秋田県の場合は、右協議書提出前に、市町村の担当者と農林事務所の担当者との間で予備協議がなされることがあり、その段階で、当該整備計画の変更について県から異議が出る可能性が高いことが判明して、協議書提出まで至らないことも多く、したがって、協議書提出までいきながら、県から異議が述べられるに至ることは必ずしも多くはない。また、協議書提出後も、多くの場合には、市町村の担当者と農林事務所の担当者が集まり、問題点を協議したり現地確認をしたりすることがある。

〈5〉 右協議書の提出を受けた所轄の農林事務所では、当該農地を農用地区域から除外することについて変更五要件を充たすかどうかを審査し、整備計画変更に異議を述べるかどうかを決定し、これを市町村に回答するが、少なくとも秋田県においては、当該農地の面積が三〇アールを超える場合などの一定の重要な案件については、農林事務所限りで決定することはせず、県農政部と協議のうえで決定している。

秋田県の農林事務所では、右協議書の提出を「事前協議」と呼んでおり、「事前協議」に対して県として異議がないとの回答をしたものについては、「事前協議」が終了したものとして、後記〈6〉及び〈7〉の手続終了後速やかに認可をする取り扱いをしているため、整備計画の変更が認可されるか否かの県の実質的な審査は、農林事務所が協議書にかかる整備計画の変更に異議を述べるか否かを決定するに際してなされているのであり、したがって、「事前協議」に対して県から異議が出されなければ、〈6〉及び〈7〉の手続を経なければならないとはいえ、事実上認可されることが確実となる。

〈6〉 市町村長は、農林事務所長から整備計画変更について異議がない旨の回答を受けたときは、軽微な変更である場合を除き公告縦覧を行うが、異議がある旨の回答を受けたときには、そのままでは最終的に県の認可を得られる見通しがないために、事実上それ以降の手続(公告縦覧以降の手続)が進められることはなく、市町村があくまでも整備計画の変更を求める場合には、異議の理由とされた問題点の解消などに努めたうえで、再度整備計画の変更について協議書を提出することになる。

〈7〉 右公告縦覧の手続を行った場合、市町村長は、異議申立期間中に異議申出がなかったとき、または異議申出があった場合において、そのすべてについて法に規定する手続を終了したときは、都道府県知事に対し、整備計画変更の認可申請を行う。

右のように認可申請まで至るものは、前記のとおり、確実に認可がなされることとなる。

(2) 変更五要件

〈ア〉 農用地区域外に代替すべき土地がないものであること。

〈イ〉 可能なかぎり農用地区域の周辺部の土地等、変更後の農用地区域の利用上の支障が軽微である土地を除外するものであること。

〈ウ〉 変更後の農用地区域の集団性が保たれるものであること。

〈エ〉 変更後、土地利用の混在が生じないものであること。

〈オ〉 国の直轄又は補助による土地改良事業、農用地開発事業、農業構造改善事業等によって土地基盤整備事業を実施中の区域内の土地及び当該事業が完了した年度の翌年から起算して八年を経過していない地区内の土地を農用地区域から除外するものでないこと。

3  農地法四条一項六号及び五条一項四号は、農地の転用及び転用目的の権利移動につき都道府県知事の許可が不要となる場合(法定の除外事由に該当する場合)として、「省令で定める場合」を規定しており、これを受けて、農地法四条一項六号の「省令で定める場合」の一つとして、農地法施行規則五条一〇号には、「地方公共団体(都道府県を除く。)がその設置する道路、河川、堤防、水路若しくはため池又はその他の施設で土地収用法三条各号に掲げるものの敷地に供するためその区域内にある農地を農地以外のものにする場合」が、農地法五条一項四号の「省令で定める場合」の一つとして、同規則七条六号には、「地方公共団体(都道府県を除く。)がその設置する道路、河川、堤防、水路若しくはため池又はその他の施設で土地収用法三条各号に掲げるものの敷地に供するためその区域内にある農地又は採草放牧地につき第一号に掲げる権利を取得する場合」がそれぞれ規定されている。そして、土地収用法三条五号には、「国、地方公共団体等が設置する農業用道路等の施設」が、同条三五号には、「前各号の一に掲げるものに関する事業のために欠くことができない道路、橋、鉄道、軌道、索道、電線路、水路、池井、土石の捨場、材料の置場、職務上常駐を必要とする職員の詰所又は宿舎その他の施設」が、それぞれ規定されている。

右諸規定によれば、市町村が設置する農道の整備事業等のために欠くことのできない土石の捨場として農地を使用し、土石を捨ててその現状を変更することは、それ自体転用に該当するものの、農地法四条の規定する法定の除外事由に該当することとなり、右転用については同条所定の都道府県知事の許可を要することなく、地目の変更をすることが可能であり、転用によって非農地となった以上は、その後の権利の移転、設定について農地法は関知しないこととなる。

四  原審証拠によれば、本件の経緯等について、以下のとおり認められる。なお、以下、農用地区域内の農地を同区域内から除外することを「農振除外」「農振除外が認められる」などといい、そのための地権者からの申請を「農振除外申請」といい、右申請に基づいて市町村が整備計画変更の認可に向けて行う手続を「農振除外手続」といい、右申出にかかる整備計画変更の認可を「農振除外の認可」などという。また、以下、字名以下で表示する土地は、すべて大館市二井田所在の土地である。

1  被告人の身上、経歴等について

(一) 被告人は、昭和三一年に鷹巣農林高校を卒業してから現在まで農業を営んでおり、昭和五三年ころから昭和六二年までの間と、平成七年から平成九年までの間に大館市農協(なお、大館市農協は、平成八年六月一日合併により、あきた北農協となった。)の役員をしていた。

他方、被告人は、昭和六二年に行われた大館市の市議会議員選挙に立候補して当選し、以後三期にわたって市議会議員として活動していたが、その間の平成二年から平成八年までの六年間、大館市の農業委員(議会推薦による)を務めていた。

(二) 平成三年の大館市の市長選挙に立候補して当選し、以後現在まで大館市長を務めている小畑元(以下「小畑市長」という。)は、その祖先が被告人と同様に大館市四羽出地区の出身であるため、被告人は、小畑市長の四羽出地区後援会の顧問を務めており、小畑市長を支援する立場の市議会議員であった。

2  被告人のこれまでの農振除外申請歴等について

以下、本項に述べる土地は、すべて、当時農業振興地域の農用地区域内にあった被告人所有の土地である。

(一) 被告人は、平成二年九月二八日付で、上四ノ羽出七三番二、七四番一、七五番一の各土地(いずれも農地)について、精密機械製造工業用地とするために農振除外申請をし、平成三年一月一六日付で農振除外の認可を受け、農地法五条の許可を経て、平成三年四月一二日、株式会社伊藤技研(以下「伊藤技研」という。)に売却した。右各土地は伊藤技研によって造成され、平成四年六月八日付で宅地に地目変更された。

(二) 被告人は、平成三年八月三一日付で、上四ノ羽出二〇五番外四筆の土地(いずれも原野)について、建設資材置場とするために農振除外申請をし、平成四年五月一八日付で農振除外の認可を受けた。

(三) 被告人は、平成三年九月四日付で、上四ノ羽出七六番一、七七番二、七八番一の各土地(いずれも農地)について、建設機械リース関係の展示場とするために農振除外申請をし、平成四年五月一八日付で農振除外の認可を受け、農地法五条の許可を経て、同年七月三〇日、株式会社ほくとう(以下「ほくとう」という。)に売却した。右各土地は、ほくとうによって造成され、平成五年九月二〇日付で雑種地に地目変更された。

(四) 被告人は、平成四年一一月一九日付で、大石台八番ないし一二番の各土地(いずれも農地、以下「大石台の土地」という。)について、運輸会社(新潟運輸株式会社)の用地とするために農振除外申請をしたが、平成五年三月三〇日、北秋田農林事務所長から、農用地の中央部に位置し周辺部とは言い難いこと、農振除外による農用地の利用上の支障が軽微とは言い難いことなどを理由に異議が述べられ、農振除外認可には至らなかった。

なお、被告人は、当時二〇〇〇万円程度の債務を抱えており、大石台の土地を売却して右債務を返済すべく、農振除外申請をしたものであった。

(五) 被告人は、平成五年一月一二日付で、上四ノ羽出一二一番外三筆の土地(いずれも農地)及び同所二〇四番の土地(山林)について、ゴルフ練習場とするために農振除外申請をしたが、同年八月九日付で北秋田農林事務所長から、平成四年度に実施された県単小規模土地改良事業により暗渠排水の整備が行われていることから、前記変更五要件の〈オ〉を充足しないことを理由に異議が述べられ、農振除外認可には至らなかった。

(六) 被告人は、平成六年六月ころまでに、上段四ノ羽出一六三番及び一六四番の各土地(いずれも農地)について、個人住宅を建築するために農振除外申請をし、同年八月九日付で農振除外の認可を受け、一六三番の土地から同番二ないし四の各土地を分筆し、右各土地につき、農地法五条の許可を経て、同年一〇月二八日、小畑陽子外二名に売却した。

(七) 被告人は、平成六年六月ころまでに、上段四ノ羽出一三九番、一四〇番、一四一番、一四四番の各土地(いずれも農地)について、重機置場とするために農振除外申請をし、同年八月九日付で農振除外の認可を受け、一三九番の土地を同番一と同番二に、一四〇番の土地を同番一と同番二に、一四一番の土地を同番一と同番二に、一四四番の土地を同番一ないし六に、それぞれ分筆し、その大部分について農地法五条の許可を経て、平成七年一〇月から平成八年八月にかけて、一四四番三ないし六の各土地を佐藤光子外二名に売却し、同様に農地法五条の許可を経て、平成九年四月七日、一三九番二、一四〇番二、一四一番二、一四四番一の各土地を、有限会社東ソー(以下「東ソー」という。)に売却した。

3  本件土地をカナモトに売却する以前の被告人の土地売買歴等について

(一) 前記2(一)及び(三)記載の被告人が伊藤技研及びほくとうに売却した農地は、被告人が、昭和三三年五月一日に、長崎喜代治から購入したものであった。

また、本件土地のうち、上四ノ羽出一二九番二、一三〇番、一三二番の各土地は、いずれも被告人が、昭和三三年から三四年にかけて長崎喜代治外一名から購入した土地であった。

(二) 前記2(二)記載の原野及び前記2(五)記載の山林は、被告人が、昭和四六年一二月二三日に、小畑幸作から購入したものであり、前記2(六)記載の農地は、被告人が、昭和五七年一二月二七日に、小畑多郎吉(以下「多郎吉」という。)から購入したものであり、前記2(五)記載の農地は、被告人が、平成四年二月六日、小畑満明から購入したものであった。

(三) 被告人は、昭和五七年中に、財団法人秋田県農地管理公社(以下「公社」という。)から、吉富士一二八番、一三〇番、一三二番の各土地(いずれも農地)を購入し、長崎信行から同所一三一番、四ノ羽出一一七番ないし一一九番の各土地(いずれも農地)を購入したうえ、平成五年一二月一〇日、吉富士一三一番及び一三二番の各土地を公社に売却している。

また、被告人は、平成四年二月六日、小畑イサから、四ノ羽出一一六番の土地(農地)を購入している。

(四) 被告人は、平成五年五月二八日、多郎吉から、上段四ノ羽出四五番、四七番、五四ないし五七番、上台一三六番の各土地(いずれも農地、以下「上段四羽出の土地」という。なお、右各土地のうち、四五番、五四ないし五六番の各土地は、登記簿上は小林誠一名義であった。)を購入したが、平成八年三月二九日まで代金を支払わなかったので、それまで所有権移転登記はなされなかった。

(五) このように被告人は、昭和三三年から平成五年に至るまでに、極めて多数の農地を購入し、右購入した農地の相当部分について、前記2(一)ないし(三)、(五)、(六)で述べたとおり、五回もの農振除外申請をなし、このうち四回については農振除外の認可を受け、うち三回については転用目的で売却するなどしているものであって、大館市周辺の宅建業者の中には、このような被告人の行動について、宅建業法に違反しているのではないかと考える者もいるほどであった。

4  被告人の借財等について

(一) 平成四年一一月ころの被告人が二〇〇〇万円程度の債務を抱えていたことは、前記のとおりである。

(二) 被告人が、平成五年五月二八日、多郎吉から上段四羽出の土地を購入したのは前記のとおりであるが、その経緯は以下のとおりであった。

多郎吉は、平成五年一月ころ、負債整理のためにその所有する上段四羽出の土地を売却しようとしていたところ、これを聞きつけた被告人が、多郎吉に対して、右土地の購入を申し入れた。被告人と多郎吉は、同年二月ころ、右土地の売買の仮契約を結び、被告人は多郎吉に対し、手付金五〇万円を支払った。その後、平成五年五月二八日に正式な売買契約が締結され、被告人は、多郎吉から、右土地を、代金合計一一六九万一二〇〇円(前記手付金を除いた残額であり、多郎吉名義の土地の代金が四六二万八〇〇〇円、小林誠一名義の土地の代金が七〇六万三二〇〇円であった。)、同年六月に支払うとの約定で買い受け、同月以降右売買代金債務を負うこととなった。被告人は、同年中から右土地の引渡しを受けて耕作するようになったにもかかわらず、右代金を支払わなかった。多郎吉は、前記のとおり負債整理のために右土地を被告人に売却したにもかかわらず、被告人からの支払がないために負債を整理できずに利息金の負担を余儀なくされて困窮したため、何度か被告人に対して、代金の支払を要求したが、被告人はこれに応じないままに土地の耕作を継続した。被告人は、平成八年三月二九日に至って、ようやく右代金債務を支払い、右各土地につき所有権移転登記を受けた。

(三) 被告人は、ゴルフ練習場の建設を計画して頓挫するなどしたために、平成七年末までには、合計で六〇〇〇万円程度の債務を抱えるようになっており、その中には、前記多郎吉に対する売買代金債務、株式会社みちのく銀行に対する三〇〇万円の借入金債務、大館信用組合に対する二〇〇〇万円の借入金債務のほか、大館市農協に対する借入金債務も含まれていた。

(四) 被告人は、平成八年三月二九日、大館市農協から、負債整理資金として、二八二〇万円を、弁済期平成九年三月二八日とする約定で借り受け、さらに同日、大館市農協から、農業用地取得資金として、一一六九万円を、毎年一一月末日の一八回払で返済する旨の約定で借り受け、右借受金により、前記多郎吉に対する売買代金債務を支払った。また、被告人は、平成八年九月二四日、大館信用組合から、鶏舎建替などの資金として、一五〇万円を借り受けた。

なお、前記のとおり大館市農協は平成八年六月に他の二農協と合併してあきた北農協となったが、右合併に先だって各農協の理事が集まって何度か合併協議会が開催されているが、被告人は、当時大館市農協の理事であったにもかかわらず、右のとおり農協に多額の債務を負っていたために、右協議会には一度も参加しなかった。また、被告人は、その当時、一か月に一回開催されていた大館市農協の理事会にも出席していなかった。

(五) 被告人は、後記のとおり、平成八年一二月一七日ころまでに、カナモトから本件土地の売買代金八三七三万三一一九円の支払を受けたが、右金員から、前記みちのく銀行に対する債務三〇〇万円、前記大館市農協に対する負債整理資金二八二〇万円と農業用地取得資金の一部一九二万円、前記大館信用組合に対する債務合計二一五〇万円が、それぞれ弁済された。

被告人には、平成八年一二月当時、右のほかに多数の債務があったが、これらについても、前記カナモトからの売買代金などによって、同月から平成九年二月ころまでの間にすべて返済された。

5  被告人が本件土地について一回目の農振除外申請をするに至った経緯等について

(一) 前記のとおり、被告人は、二〇〇〇万円程度の債務返済のために、大石台の土地を転用目的で新潟運輸株式会社(以下「新潟運輸」という。)に売却処分することを企図し、平成四年一一月、同土地について農振除外申請をしたが、右農振除外申請については、平成五年三月に、北秋田農林事務所長から異議が出されて、右申請に係る農振除外は実現しなかった。

(二) 被告人は、右異議が出された後に、県議会議員の鈴木洋一(以下「鈴木県議」という。)に同行を依頼し、同人とともに北秋田農林事務所に赴いて、当時の所長に対して、負債整理をしなければならないので右土地の農振除外を認めて欲しいなどと申し入れたが、所長は、右土地が優良農地であることを理由にこれを拒否した。

被告人は、遅くとも右のころまでに、鈴木県議に対して、大石台の土地の農振除外が認められるよう県農政部に働きかけて欲しいという趣旨の依頼をしており、また、平成六年ころまでには、県議会議員の菅原昇(以下「菅原県議」という。)にも、同様の依頼をしていた。

(三) 被告人は、その後も、大石台の土地について農振除外を認めてもらうべく、被告人自身の債務の明細を記載した書面を、当時既に大館市の農林課長であった佐藤を通じて、北秋田農林事務所に提出するなどした。

北秋田農林事務所では、大石台の土地は優良農地であるから農振除外は無理であるとの態度であったものの、当時の同事務所の課長からは、被告人に対して、他に農振除外に適当な土地はないのか、ないとすれば、大石台の土地を適当な土地と交換した上で農振除外申請すればよいのではないか、大石台の土地よりは本件土地の方が農振除外が認められやすいかもしれないなどという趣旨のアドバイスがなされたので、被告人は、本件土地の売却を考えるようになった。

(四) このような経緯で、大石台の土地については農振除外の目途が立たなかったために、新潟運輸に対しては、被告人の方から売却を断った。

他方、被告人は、右のころまでに、カナモトが大館市四羽出地区付近に大館営業所の移転用地を探していることを知っており、また、右のころまでに、当時カナモトの大館営業所の所長であった岩谷春彦(以下「岩谷」という。)から、被告人の所有地の売却を申し込まれて断ったりしたこともあったが、右のとおり大石台の土地の農振除外が無理であることがわかった平成五年中に、岩谷に対し、本件土地を購入してくれるよう依頼した。

(五) その結果、被告人とカナモトとの間で本件土地の売買についての交渉が始まり、平成五年末ころまでには、本件土地につき農振除外の認可がなされることを条件に、被告人がカナモトに対し転用目的で本件土地を坪単価三万円位で売却することについて一応の合意が成立した。本件土地は、公簿上の面積が合計九八七三平方メートルであったから、本件土地につき転用目的で所有権移転する場合には、農地法五条に基づき秋田県知事の許可が必要であった。また、本件土地を含む周辺農地は、農業振興地域農用地区域内にあり、昭和六二年度から平成四年度にかけては県営土地改良総合整備事業の、平成四年度には県単小規模土地改良事業の対象とされ、補助金を得て区画整理等が実施されていたものであって、いわゆる優良農地であった(もっとも、道路を隔てた東側には、前記のとおり、平成四年までに、被告人が農振除外及び農地法五条の許可を経て、伊藤技研及びほくとうに売却していた各土地が存在しており、右各土地は、平成五年九月までには、すべて非農地となっていた。)。したがって、本件土地について、農地法五条の許可を申請するためには、当然ながら、その前提として、本件土地につき農振除外が認可される必要があった。

なお、前記のとおり、被告人は、平成五年中だけでも、多郎吉から土地を購入して売買代金債務一一六九万一二〇〇円を負ったほか、大館信用組合から二〇〇〇万円の借入れをしており、少なくとも右合計の三〇〇〇万円を超える債務を負い、平成七年には債務総額が六〇〇〇万円程度にも上っていた。

(六) 被告人は、前記合意に基づき、本件土地をカナモトに売却するために、平成六年ころまでに、大館市に対して、本件土地の農振除外を申請した。

大館市には、企画部、総務部、市民部、産業部、建設部が置かれ、産業部には、商工課、観光物産課、農林課が置かれ、農林課には、管理係、農業経営係、土地改良係、林務係が置かれており、農業振興地域の整備に関する事務は農業経営係の所管であった。農林課の責任者は農林課長であり、その上司は産業部長であり、さらにその上司は助役であるところ、平成六年当時の農林課長は佐藤であり、産業部長は佐々木成一(以下「佐々木部長」という。)であり、助役は阿部威(以下「阿部助役」という。)であった。また、平成六年当時の農林課農業経営係の担当者は同係主任の山下悟であったが、平成七年四月からは、小林一宏主任(以下「小林主任」という。)が担当となった。

前記のとおり被告人から本件土地の農振除外申請を受けた大館市(農業課農業経営係)では、その内容について検討し、前記変更五要件を満たすものと判断して、農振除外手続を進めることとした。

大館市は、平成六年一二月一三日付で、大館市農業委員会、大館市農業協同組合、大館市二井田真中土地改良区などに対して、本件土地の農振除外についての意見を聴取したが、いずれも異議がない旨の回答がなされた。

(七) 他方、前記のとおり本件土地については、県単小規模土地改良事業の対象とされ、補助金を得て区画整理等が実施されていたものであるところ、同事業については、その事業が完了した年度の翌年度から八年を経過しない転用の場合には、補助金の返還を要していたことから(なお、県営土地改良総合整備事業については、本件土地が用排水整備事業での受益面積の一〇分の一又は一〇ヘクタール以上という補助金返還の要件を満たさなかったため、返還の必要がなかった。)、被告人は、カナモトとの売買契約交渉の過程で、平成七年一月一七日ころ、カナモトに対して右返還する補助金相当額を負担して欲しいという申入れをなしたところ、カナモトはこれを承諾した。その結果、そのころ、カナモトから被告人に対し、本件土地が転用になった場合に返還すべき補助金相当額四四四万一三四〇円(暗渠排水事業の返還分三四四万九二〇〇円、土地改良総合整備事業償還分九九万二一四〇円)が支払われ、これに対し、被告人は、同月二一日、本件土地の売買が成立しない場合には、右金額をカナモトに返還する旨の念書を作成してカナモトに交付した。

(八) 平成七年二月二日、大館市役所において農振協議会が開催され、本件土地の農振除外に同意するとの意見が出された。そこで、大館市は、同日付で、これらの関係機関の意見を添付して、北秋田農林事務所に対し、本件土地の農振除外を含む整備計画の変更にかかる協議書を提出した。

遅くとも右のころまでには、佐藤は、前記のとおり被告人が大石台の土地を売却しようとした経緯や、大館市農協関係者からの情報によって、被告人が大館市農協などに対する数千万円単位の多額の負債を整理するために本件土地を転用目的で売却しようとしていることを知っていた。阿部助役も、右のとおり協議書が北秋田農林事務所に提出されてまもなくのころまでに、佐藤からの情報で、本件土地を売却したい被告人の事情を知るようになっていたが、阿部助役自身は、本件土地が売却できなければ被告人は債務が返済できずに大変なことになると理解しており、そのため被告人に強く同情するようになった。

(九) 同月二一日付で、北秋田農林事務所から、本件土地については、完了済み補助事業との関係を整理する必要があるなどとして農振除外に異議がある旨の回答(以下「一回目の異議回答」という。)がなされた。

6  本件土地についての二回目の農振除外申請についての異議が出されるまでの経緯等について

(一) 前記のとおり一回目の異議回答を受けた大館市では、再度本件土地の農振除外申請を検討し、一回目の異議回答において異議の理由として指摘された事項についての問題点が解消されていなかったにもかかわらず、同年四月一四日付で、北秋田農林事務所に対し、本件土地の農振除外にかかる協議書を提出した。

なお、北秋田農林事務所のそれまでの先例に照らせば、右のように、農林事務所が一旦協議書に対して異議を述べた場合に、右異議の理由となった原因が解消されていないにもかかわらず、同様の案件について再度協議書が提出されるということは異例の事態であった。

(二) 被告人は、一回目の異議回答後、小畑市長、阿部助役、鈴木県議、菅原県議などに、本件土地の農振除外が認められるように秋田県農政部の担当者に働きかけてくれるよう依頼し、右依頼を受けた者たちは、以下のとおり、それぞれ県の担当者などに、本件土地の農振除外の件について尋ねたり、農振除外が認められるよう陳情するなどした。

他方、被告人は、一回目の異議回答後、本件土地の農振除外の件を直接担当するようになった佐藤のもとをしばしば訪れ、本件土地の農振除外手続の進行状態や認可の見通しなどを尋ねたりしたが、その際、佐藤に対して、本件土地の農振除外が認められるよう担当者として努力してくれるよう強く要請し、佐藤も、債務返済のために本件土地を売却する必要があるという被告人の窮状を知っていたことから、右要請に応えるべく担当者としてできる限りのことを行った。

(三) 阿部助役は、まず、佐藤に対し、県農政部の農振除外の担当者であって事実上の決定権者である農政部農政課主幹兼主席課長補佐小野庄一郎(以下「小野主幹」という。)に会って、本件土地の農振除外を陳情するよう指示し、右指示を受けた佐藤は、平成七年七月二〇日、県農政部へ赴き、小野主幹に対し、本件土地の農振除外が認められるよう頼んだ(なお、佐藤は、それまでは、本件土地の農振除外の件について、農業経営係の担当者に任せていたが、以後は、直接この件を担当するようになった。)。その後、阿部助役自身が、三、四回にわたり県庁に赴き、かつて阿部助役が県庁に勤務していた当時部下であった小野主幹や、小野主幹の上司にあたる農政部農政課長の田口章に対し本件土地の農振除外を認めてくれるよう頼んだ(このうち、同年九月八日には佐々木部長を同行している。)。また、阿部助役は、同年夏ころ、佐々木部長及び佐藤が同席している場で、小畑市長に対して、本件土地の農振除外が認められるよう県庁に働きかけてくれるよう強く要請したところ、小畑市長は、その件については既に被告人から聞いている、県庁に行ったらお願いしてみるなどと述べた。阿部助役は、このほかにも、かつて県庁在職当時の部下であった北秋田農林事務所の小玉所長に対して、直接電話をかけて本件土地の農振除外を認めてくれるよう依頼するなどした。

小畑市長は、前記のとおり被告人から依頼され、さらに阿部助役からも強く要請されたこともあって、平成七年八月二三日ころ、県庁に出張した際、池田副知事に対し、本件土地の農振除外が認められるよう陳情した。さらに小畑市長は、同年九月六日、池田副知事に電話をかけて、本件土地の農振除外が認められるよう陳情した。

鈴木県議は、前記のとおり、大石台の土地の農振除外についても被告人から依頼を受けて行動をしたことがあったが、さらに本件土地の農振除外についても被告人から依頼され、平成七年六月ころ、小野主幹に対し、本件土地の農振除外が認められるよう陳情し、同年六月か九月には、池田副知事に対しても、本件土地の農振除外についての検討を依頼した。

菅原県議は、前記のとおり、被告人から大石台の土地の農振除外について県農政部に働きかけてくれるよう依頼されたことがあり、そのため、平成六年九月二〇日ころ、小野主幹に対し、大石台の土地の農振除外を陳情したところ、たちどころに拒否されたということがあったが、その後、本件土地の農振除外についても被告人から依頼され、小野主幹に対し、本件土地の農振除外を認めてくれるよう陳情した。

(四) 小野主幹は、右各陳情に対して、終始一貫して、本件土地の農振除外は認められないという態度をとった。小野主幹が、その理由として説明したことは、各陳情者に対して必ずしも同一ではないものの、本件土地がほ場整備を終え、県単事業施行後間もない優良農地であること、したがって、変更五要件のうち〈オ〉の要件を充足せず、また、本件土地の存在位置に照らして変更五要件のうち〈エ〉の要件も充足しないこと、被告人の農振除外申請はこれで五件目であるが、被告人は農振除外を受けた土地を次々と売却しており、まるで土地転がしであり、優良農地を守る人物ではない、などというものであった。

(五) 県農政部では、前記のとおり平成七年六月中に、鈴木県議から小野主幹に対し、本件土地の農振除外を認めてくれるよう働きかけがなされたことを重視し、同月二六日には、小野主幹と北秋田農林事務所の小玉所長及び農務課長補佐とが本件土地の農振除外問題について話し合った。

(六) さらに同年八月一日、県農政部の主導によって、大館市役所において、本件土地の農振除外について、県庁の担当者と大館市の担当者との間で会議が開催され、県農政部からは、小野主幹、農政部農政課主査の進藤久志などが、北秋田農林事務所からは小玉所長、農務課長長岐哲行(以下「長岐課長」という。)などが、大館市からは、阿部助役、佐々木部長、佐藤(農林課長)、小林主任が、それぞれ出席した。

右会議を開催した県農政部の狙いは、大館市まで出向いて本件土地の状況を説明することによって、本件土地の農振除外が無理である(すなわち、県としては、本件土地を農振除外する内容の整備計画の変更に異議を述べる。)という、県農政部の最終的な結論を大館市の担当者に伝えて、それ以上本件土地の農振除外を認めるようにとの働きかけを止めてもらいたいというものであったが、一個人が所有する農地の農振除外に関して、県農政部及び北秋田農林事務所の担当者がわざわざ大館市まで出向いて大館市の担当者と会議を開催したなどということは前例のないことであった。

小野主幹は、右会議の冒頭、本件土地の農振除外が無理であると述べ、その理由として、本件土地は基盤整備等が終了しており、周囲の状況からして、優良農地として守るべき土地であること、土地改良事業が終了して八年を経過していないことなどを説明した。これに対して、阿部助役は、隣接地(被告人が伊藤技研に売却した土地)について農振除外がなされていることなどを理由に農振除外が認められてもよいのではないか、などと異議を述べたほか、大館市側から、本件土地購入予定者であるカナモトによる他の地点での選定作業が不調に終わっていること、本件土地は、被告人が伊藤技研やほくとうに売却して非農地となっている土地の隣接地であり、農用地区域内の集団性が保持できない等の影響はないこと、補助金の返還については被告人の意思を確認済みであることなどを説明し、農振除外を認めて欲しいとの意見が述べられたが、小野主幹は、本件土地の農振除外は認められないという態度を崩さず、結局、県農政部側と大館市側の議論は平行線を辿った。

(七) 右のとおり県農政部では、わざわざ担当者が大館市まで赴いて本件土地の農振除外が無理であることを説明したにもかかわらず、その後も、大館市側では、前記のとおり、阿部助役や小畑市長が県庁を訪れて、県農政部の担当者や副知事などに本件土地の農振除外を認めてくれるよう陳情するなどし、そのため、田口課長が副知事から本件土地の農振除外の件について直接尋ねられたこともあった。また、阿部助役は、後記のとおり、本件土地の農振除外にかかる協議書に対して、北秋田農林事務所から二回目の異議回答が出された後にまでも、県農政部に赴き、同様の陳情をした。

(八) 大館市では、それまでに、一個人の所有農地の農振除外について、しかも、借金を返済するために農地を転売するための農振除外について、市長、助役、産業部長などの幹部が、度々県庁に赴いて陳情をしたなどという前例はなく、他方、前記のとおり、県が異議を述べることが予想される内容の整備計画変更の協議書を同一条件のもとで二度も提出すること自体も極めて異例であり、そのうえ、一個人の所有農地の農振除外について、わざわざ県農政部の担当者が大館市まで出向いて会議を開催したことも前例のないことであった。また、平成三年四月から農林課長の地位にあった佐藤の経験に照らしても、一度県から異議が出されて農振除外が認められなかった土地について、県議会議員、助役、産業部長などの市の幹部などがさかんに県庁に働きかけをするなどということは初めてのことであり、助役から県庁に赴いて農振除外の担当者に陳情するように指示されたことも初めてのことであった。

このようなことから、佐藤は、本件土地の農振除外の件について、市長をはじめとする大館市幹部が、市長を支援する市議会議員である被告人から、借金返済のために本件土地を売却処分したいので協力して欲しいという趣旨の強い要請を受けて、多額の借金を抱えた被告人の窮状に理解を示し、その結果、被告人個人のために一致協力して便宜を図っているものと理解するようになっており、小林主任も、同様の理解をするようになっていた。

(九) 平成七年九月二五日付で、北秋田農林事務所から、本件土地については、完了済み補助事業との関係を整理する必要があるなどとして農振除外に異議がある旨の回答(以下「二回目の異議回答」という。)がなされた。

二回目の異議回答がなされるころまでには、北秋田農林事務所から大館市に対して、本件土地の件も含めて大館市の農振除外申請の基準が緩すぎる(すなわち、県で認めることができない案件が多い。)ので、大館市において農振除外申請の基準を作成するように、また、これまで度々農振除外申請を行っている被告人に対して、農業振興地域制度及び農地法を遵守する趣旨の誓約書を提出させるように、との指導がなされた。大館市は、これに応じて、「大館市農業振興地域農用地区域除外規定」を制定するとともに、佐藤を通じて、被告人に対して右誓約書の提出を求め、被告人は、同月二七日付で、「私所有の農地の農業振興地域農業用地区域の除外及び転用に関して、農業振興地域制度、農地法を遵守し農業振興に努めます。」という内容の誓約書を作成して小畑市長宛に提出した。

7  佐藤が、大館市が被告人から本件土地を土砂捨て場として借り上げ、地目を変更して被告人に返還するという方法を実行するに至った経緯等について

(一) 佐藤及び小林主任は、二回目の異議回答がなされる以前の同月二一日ころ、北秋田農林事務所に赴いた際に、長岐課長から、本件土地の農振除外には異議を述べることになるとの秋田県の決定を聞かされ、この時点で本件土地の農振除外が認められないことを知った。

(二) 佐藤は、右のころから同月二五日ころまでの間に、長岐課長との会話の中で、大館市が公共工事などのための土石置き場として使用することが必要不可欠である場合には、農地法所定の許可を受けることなく農地を非農地に転用できること、この方法によって農地が転用されてしまえば、農業振興地域の農用地区域内の農地を売却するについて、農振除外を経る必要も、農地法所定の許可を得る必要もなくなることを知り、長岐課長から、その法律上の根拠が、農地法、農地法施行規則、土地収用法などにあることを教えられた。長岐課長は、右会話の中で、あくまでも大館市が必要とする場合のみに許されるものであると説明する一方で、その必要性の判断はあくまでも大館市が行うものである、という趣旨のことも述べた。

佐藤は、右のとおり長岐課長が説明した方法について、特例中の特例をかいくぐるものではないかと感じるとともに、まともじゃないなという受け止め方をした。他方、本件土地の農振除外が認められないことが確定した直後に、長岐課長が、農振除外を経る必要も農地法所定の許可を得る必要もなく農業振興地域の農用地区域内の農地を売却することができるようになる方法(すなわち、本件土地は優良農地であるから農振除外を認めないとした秋田県の判断を事実上覆してしまうような方法)について、その法律上の根拠まで教示してくれ、必要性の判断はあくまでも大館市が行うものであるとも述べたので、これは秋田県農政部が大館市に対して、本件土地について農振除外が認められたのと同じことになる方法を示唆してくれたものであり、土石置き場としての必要性についても、大館市が必要であることにしてしまえば秋田県農政部では黙認するという趣旨ではないかとも考えた。

(三) 佐藤は、同年一〇月三日、小畑市長に同行して能代市に出張した際に、小畑市長に対し、北秋田農林事務所の課長から、大館市が本件土地をどうしても必要であるとして残土置き場にして地目変更して被告人に返還するという方法によれば、本件土地につき農振除外が認められたのと同じことになるというアドバイスをされた旨を述べたところ、小畑市長は、秋田県にもう一回確かめた方がよいなどと述べた。

(四) そこで佐藤は、同月四日、北秋田農林事務所を訪れ、長岐課長に対し、大館市が公共工事などのための土石置き場として使用することが必要不可欠である場合には農地法所定の許可を受けることなく農地を非農地に転用できるという方法について、さらに詳しい説明を受けた。その際、長岐課長は、農地法四条、五条、農地法施行規則五条、七条、土地収用法三条などの条文のコピーを示しながら、農地法上、省令に定める場合に該当するときは、農地の転用について農地法所定の許可が不要となること、地方公共団体がその設置する農業用道路等の施設に関する事業のためにどうしても必要で欠くことのできない土石の捨場の敷地として使用する場合は、右省令で定める場合に該当すること、したがって、農地法所定の許可なくして転用が可能となり、地目変更もできること、この場合に農地を借り上げて土砂捨て場として使用し地目を変更して所有者に返還すれば、もはやその土地の権利移転に農地法の制限は及ばず、実質的には農振除外(及び転用目的の所有権移転の許可)がなされたのと同じことになること、などを述べ、さらに、このように大館市が公共事業の遂行に必要であれば農地法所定の許可なしに農地を土石捨て場等に使うことは法律上問題はないが、農地を保護するという農林事務所の立場からいえば好ましいことではない、ただこのようなことを行うかどうかは市が公共事業のメリット、農地がつぶれるデメリット等を総合的に判断して決めることであり、その判断について農林事務所としてはどうこう言うことはできない、何も言えない立場にある、このような方法は農林事務所の職員という自分の立場からすれば好ましいものではないから、自分はこのような方法をやれと言っているものではないし、やれと言ったと言われても困る、といった趣旨のことを述べた。

佐藤は、右のとおり、長岐課長が、大館市が公共工事などのための土石置き場として使用することが必要不可欠である場合には農地法所定の許可を受けることなく農地を非農地に転用できることについて、きちんとした法律上の根拠を示して説明してくれたことから、大館市が必要不可欠な土石捨て場として使用する場合には、農地法所定の許可なくして適法に農地を転用できることを理解した。

佐藤は、右同日の長岐課長との会話が終わるころまでには、それまでと同様に、本件土地の農振除外が認められないことが確定したばかりであるのに、農振除外を認めないと判断した当の北秋田農林事務所の担当者である長岐課長が、農振除外を経る必要も農地法所定の許可を得る必要もなく農業振興地域の農用地区域内の農地を売却することができるようになる方法(すなわち、農振除外を認めないとした北秋田農林事務所の判断を事実上覆してしまうような方法)について、その法律上の根拠を示すなどして詳細な説明をしてくれたのであるから、これについて、秋田県農政部が北秋田農林事務所の担当者を通じて大館市に対して、本件土地について結果として農振除外が認められたのと同じことになる方法を示唆してくれたものであると理解し、また、長岐課長が、その方法について、あくまでも大館市の判断で行うものであるとか、大館市が判断した以上農林事務所としてはどうこう言うことはできないなどと述べたことなどから、右長岐課長の発言の趣旨について、土石捨て場として使用することが必要不可欠であるということは、あくまでも建前であって、大館市が必要不可欠であるということにしてしまえば、北秋田農林事務所及び秋田県農政部はこれを黙認するという趣旨であると受け取った。

当時の大館市では、通常、土木工事によって発生する残土処理は、工事現場の二キロメートル以内であれば請負業者の自由処分に任されており、業者は、右二キロメートル以内での残土処理の費用を含んだ金額で請負金額の見積をして入札に応じていたものであって、大館市が業者のために土石置き場を確保しなければならない工事は皆無であり(のみならず、佐々木部長や佐藤が経験する限りにおいては、大館市が公共工事の土石置き場とするために個人所有の農地を借り上げたなどという前例はなかった。)、したがって、当時の大館市には、公共工事の土石置き場として本件土地を使用することが必要不可欠であるという事情はなかったため、大館市が本件土地を土石置き場として使用したとしても、それは必要性がないのに使用することであり、農地法四条所定の除外事由に該当しないこと、したがって、農地法違反であることは明らかであった。佐藤も、右事情を認識していたが、農林事務所及び県農政部が黙認してくれるのであれば、農地法違反であることが発覚して問題になることはないと考えた。

(五) 佐藤は、右同日、北秋田農林事務所から大館市役所に戻った後、佐々木部長に対し、北秋田農林事務所の担当者から、本件土地を大館市が公共工事(土地収用法所定の公共工事)のために必要不可欠な土石置き場として借り上げて地目変更し、そのうえで本件土地を被告人に返還するという方法によれば、本件土地について農振除外が認められたことと同じことになるというアドバイスを受けたことを説明し、この方法を実行したいという趣旨のことを述べた。佐々木部長は、それでやれるならやってやればよいと、これを了承した。

佐藤は、その後、佐々木部長とともに、阿部助役のもとを訪れ、同様の説明をしたうえ、この方法を実行したいという趣旨のことを述べた。阿部助役は、本件土地の農振除外が認められなかった直後に、非常にタイミング良く、本件土地を土石捨て場として借りて地目変更して被告人に返すという方法があるという話が出てきたので、不審に思ったが、佐藤に対し、誤解されないようにしなさいという趣旨のことを述べただけで、これを了承した。

佐藤は、右のとおり、阿部助役及び佐々木部長から了承を得たので、この段階で、当時の大館市には、本件土地を土石置き場として使用することが必要不可欠な公共工事がなかったにもかかわらず、大館市が本件土地を土石置き場として被告人から借り上げて、適当な土石等を搬入して本件土地の地目を変更し、そのうえで本件土地を被告人に返還するという方法を実行することを決意した。

小畑市長は、右のころまでに、阿部助役、佐々木部長、佐藤のいずれかから、大館市が被告人から本件土地を土石置き場として借り上げるという報告を受け、これを了承した。

(六) 佐藤と被告人は、同月六日午前中に、大館市役所の農林課において会話をした。その際、大館市が本件土地を公共工事の土砂捨て場として被告人から借り上げて土砂を捨てれば、本件土地の地目を雑種地に変更することができ、そのうえで本件土地を大館市から被告人に返還するという方法(以下「本件手法」という。)によれば、農振除外の手続を経ることなく、かつ、農地法所定の許可を受けることなく、本件土地の売却が可能となることが話題となっており、少なくとも、右会話が終わるころまでには、被告人は、佐藤(すなわち大館市)が本件手法を実行しようとしていることを知った。被告人のそれまでの経験では、大館市が個人所有の農地を公共工事の土砂捨て場として借り上げた前例はなかったが、被告人は、右佐藤との会話の中で、本件手法の詳しい法的根拠を確認することもなく、何でも協力するからなんとかしてくれと言った。

右会話の後、佐藤が被告人の自家用車に同乗して二人で大館市役所を出発し、北秋田農林事務所に赴いた。北秋田農林事務所に到着した二人は、直ちに長岐課長のもとに赴き、最初に被告人と長岐課長との間で、本件土地とは無関係の農業用施設の補助事業についての会話がなされた。右会話が終了した後、長岐課長が、佐藤及び被告人に対して、同月四日に佐藤に説明したときと同様に、農地法上、省令に定める場合に該当するときは、農地の転用について農地法所定の許可が不要となること、地方公共団体がその設置する農業用道路等の施設に関する事業のためにどうしても必要で欠くことのできない土石の捨場の敷地として使用する場合は、右省令で定める場合に該当すること、したがって、農地法所定の許可なくして転用が可能となり、地目変更もできることなどを説明し、このように大館市が公共事業の遂行に必要であれば農地法所定の許可なしに農地を土石捨て場等に使うことは法律上問題はないが、農地を保護するという農林事務所の立場からいえば好ましいことではない、ただこのようなことを行うかどうかは、市が公共事業のメリット、農地がつぶれるデメリット等を総合的に判断して決めることであり、その判断について農林事務所としてはどうこう言うことはできない、何も言えない立場にある、このような方法は農林事務所の職員という自分の立場からすれば好ましいものではないから、自分はこのような方法をやれと言っているものではないし、やれと言ったなどと言われても困るなどという趣旨のことを述べた。また、佐藤が長岐課長に対し、農業集落排水事業も土地収用法所定の公共事業に該当するのかと質問したところ、長岐課長は該当する旨答えた。

右北秋田農林事務所から大館市役所に戻る車中で、佐藤が被告人に対し、本件土地を土石置き場として貸してくれるかなどと、本件手法の実行に協力してくれるか否かを確認したところ、被告人はこれを了承し、協力すると述べた。

(七) 佐藤は、同年一一月中に、小林主任に対し、大館市が被告人から本件土地を集落排水工事の土砂捨て場として借りることにしたのでそのための使用貸借契約書を作成するようにと命じた。

そこで、小林主任は、管財課において過去の契約例を調査するなどして、市が被告人から本件土地を使用貸借する旨の契約書を作成した。当初小林主任は、市が本件土地を使用貸借して土砂捨て場として使用し、その後農地の原状に復して被告人に返還するという内容のものを作成したが、佐藤の指示で、原状回復をせずに返還するという内容のものに変更された。

同年一一月二二日、右のとおり小林主任が作成した契約書を使用して、大館市と被告人との間に、大館市が本件土地を使用貸借して収用事業の土砂置き場として使用し(期限は平成八年三月末日まで)、使用後はそのままの状態で被告人に返還するという内容の使用貸借契約が成立した。

佐藤は、右のとおり、使用貸借契約が成立した前後ころまでに、当時農林課土地改良係主査であった小畑勝明(以下「小畑主査」という。)に命じて秋田地方法務局大館支局(以下「法務局」という。)に照会し、大館市が被告人所有の農地である本件土地について土砂捨て場として使用貸借し、所有者に代位して登記の嘱託をすれば、農業委員会の許可を得ずに地目変更することが可能であることを確認し、平成七年一二月中には、被告人に本件土地の地目変更登記に承諾する旨の承諾書を作成してもらった(日付については、前記使用貸借契約書と一致させるために同年一一月二二日とされた。)。

被告人は、平成八年一月ころまでに、鈴木興業に依頼して、本件土地の表土(厚さ一五ないし二〇センチメートル程度の農耕用の土)を剥ぎ、これを本件土地の畦(道路から見て奥の畦)側に寄せた。

(八) 佐藤は、本件土地に搬入する土砂について、当時たまたま施工中であった農林課発注にかかる下川原のふるさと農道工事(以下「本件農道工事」という。)から発生する土砂を充てようと考え、平成七年一二月二〇日過ぎころ、当時農林課課長補佐で土地改良係長を兼務していた野呂秋男(以下「野呂補佐」という。)に対し、本件農道工事から発生した土砂を本件土地に捨てるよう指示した。本件農道工事については、入札前に工事現場周辺の住民の同意を得て工事現場付近に土砂捨て場が確保されており、したがって、本件農道工事を請け負っていた合資会社石戸谷建設(以下「石戸谷建設」という。)は、右土砂捨て場及び同社の資材置き場に土砂を捨てており、同年一二月当時は、既に相当程度の土砂が捨てられて、その後捨てるべき土砂の量も限られており、引き続きその土砂捨て場を利用すればよいという状況にあって、新たな土砂捨て場を必要とするような事情はなかった。そのため、野呂補佐は、佐藤に対し、土砂を捨てろと言っても捨てる土砂はそんなにないなどと述べた。

右当時、本件土地と市道との間には、防護柵が設置されていたため、そのままでは、ダンプで直接土砂を運び込むことが困難な状況であり、現実に、本件土地に土砂が搬入されるようになったのは、後記のとおり平成八年三月に防護柵が撤去されてからであり、それまでは、本件土地には全く土砂は搬入されなかった。

被告人は、同年一月から三月にかけて、度々佐藤のもとを訪れ、佐藤に対して、本件土地に土を入れてくれるよう要請していたが、同年二月には、被告人が小畑市長の面前で佐藤に対し、本件土地に土砂が入っていないことについて抗議し、佐藤たちには全くやる気がない(もしくは何もやっていない)という趣旨のことを述べ、これに対して佐藤が、そう言われても、右から左にない土を入れられない、という趣旨のことを言い返すなどして口論のようになったことがあった。他方、前記のとおり同年二月中には本件土地に全く土砂が搬入されず、当初の期限である同年三月末日までに本件土地の地目変更が不可能となったことから、被告人と佐藤は、使用貸借契約を同年五月末日まで延長することとし、小林主任がその旨の契約書を起案し、平成八年二月二二日付で大館市と被告人の間で期間更新の契約書が作成された。

野呂補佐は、平成八年二月初めころ、佐々木部長から、本件土地に早く土を入れるよう指示され、さらに同年三月初旬ころまでに、佐々木部長から、本件土地になぜ土を入れないのか、などと叱責されたために、佐藤と相談し、本件農道工事からの土砂だけでは不足することから、当時施工中であった大館市真中地区の農業集落排水事業に伴う集落排水工事(以下「本件排水工事」という。)の土砂も捨てることとし、同月五日ころ、石戸谷建設の担当者と本件排水工事を請け負っていた花岡土建株式会社(以下「花岡土建」という。)の担当者を市役所に呼んで、本件土地に工事から出た土砂を捨ててくれるよう依頼した。他方、佐藤は、同月七日ころまでに、本件土地の状況を確認し、防護柵を撤去しなければ、ダンプで土砂を搬入できないと判断し、鈴木興業に指示して、右防護柵を撤去させた。

石戸谷建設及び花岡土建は、前記野呂補佐の依頼に応じて、同月八日過ぎころから同年四月ころまでの間に、工事から発生した土砂を本件土地に捨てたが、結果として、石戸谷建設が捨てた土砂は合計約三〇〇ないし四〇〇立方メートル、花岡土建が捨てた土砂は合計約六〇立方メートルであって、その合計は約三六〇ないし四六〇立方メートルであり、本件土地の面積が九二〇〇平方メートルを超えていることに照らせば、搬入された土砂の量は、農地(田)であった本件土地の現況を雑種地に変更するにしては、およそ不足する量であった(小畑主査は、農林課の前に管財課に八年程在籍しており、その実務経験から、農地の地目変更の実務にもある程度の知識を有していたものであるが、土砂が搬入される前の本件土地を現認した同人の判断によれば、本件土地に土砂を搬入して、確実に地目を雑種地に変更するためには、最低五〇センチメートル程度は土盛りをする必要があるとしており、そうすると、前記本件土地の面積に照らして、四五〇〇立方メートルを超える土砂が必要であることとなる。)。

被告人は、右石戸谷建設らによる本件土地への土砂の搬入が開始されるに先立つ平成八年三月初めころまでに、鈴木興業に対して、本件土地に土砂が搬入されるので、その土砂をブルド-ザーで均して欲しいと依頼した。これを受けて鈴木興業では、同月一一日から同月一四日まで、同月二九日、同月三〇日、同年四月一日、同年五月八日の各日に、ブルドーザーを使用して、前記石戸谷建設及び花岡土建が野呂補佐の指示を受けて本件土地に搬入した土砂を均す作業を行った。

前記佐藤が指示した防護柵の撤去費用及び被告人が依頼した本件土地の整地費用は、すべて被告人が鈴木興業に支払っており、大館市は負担していない。

(九) 小畑主査は、同年五月八日、佐藤(なお、佐藤は、同年四月一日から産業部長となっていた。)から、本件土地に土が入ったので見に行ってくれるよう命じられ、本件土地の現況を確認しに行ったところ、全体的に表土が剥ぎ取られ、その上に、搬入された土砂が敷いてあり、右剥ぎ取られた表土と思われる黒土が道路から見て奥の方に盛土されていた。小畑主査は、本件土地に搬入された土砂の量が少ないために、土を満遍なく均したとしても、隣の田面と高さがさほど変わらないために、地目変更が認められるか否かは微妙であると感じた。同日、市役所に戻った小畑主査は、佐藤に対し、右感じたままを報告したところ、佐藤は、土砂を追加するからまた見てくれと述べた。

その後、小畑主査は、同年五月一三日ころまでに、もう一度本件土地の現況を確認しに行ったところ、本件土地に搬入された土の量は若干増えた感じで、平らに均してあり、土地の高さも隣の田面より一〇センチメートル位高くなっていたものの、小畑主査としては、地目変更が認められるかどうかは五分五分であると感じたので、市役所に戻って、同様に佐藤に報告した。これに対し、佐藤は、時間がないのでとにかく地目変更登記の申請をしてみてくれと指示し、小畑主査は、右指示に従って登記申請書類を整えた。その結果、同月二一日付で、大館市から、本件土地について田から雑種地へ地目変更する登記の代位登記嘱託がなされた。

右嘱託を受けた法務局では、担当者である登記専門職石川智(以下「石川」という。)が、同月二二日に本件土地の現地調査を行ったところ、本件土地は、全体的に表土が剥ぎ取られ、道路から見て奥の方にある畦の周辺に右剥ぎ取られた表土が寄せて積んであり、右積んである土よりもやや道路側によった部分(本件土地全体の一〇分の一弱程の面積)に、工事残土らしき土砂が他の部分よりも一〇ないし二〇センチメートル程の高さに敷かれており、右部分を除いた部分には、全体的に稲株が残っていていまだ現状が田であることに疑いのない状況であった。そのため石川は、本件土地の現状は、一部に土砂が置かれているのみであり、全体としてはいまだ農地であって、雑種地とは認められないものの、将来的には土砂が搬入されて雑種地になるものと考えた。このように現況がいまだ農地である場合には、本来は、地目変更は認められないものであるが、石川は、地方公共団体である大館市からの嘱託であり、関係書類には土砂捨て場として使用することが明記されていたことから、将来的には土砂が捨てられて雑種地になるものと信用し、同日中に、上司の決裁を経て、地目変更登記手続を行った。その結果、同日、本件土地の地目は田から雑種地に変更された。

8  被告人とカナモトの本件土地についての交渉の経緯、売買契約締結後の状況等について

(一) カナモトは、重機のレンタル等を目的とする会社であるが、被告人は、友人がカナモトと取引があった関係で、平成二、三年ころからカナモトを知るようになり、平成五年ころには、短期間ではあるが被告人の所有地をカナモトに貸したことがあった。

カナモトは、平成五年ころまでに、大館営業所を移転すべく、移転用地を物色していたところ、同年中に、被告人から、本件土地を購入してくれるよう依頼され、以後、カナモトと被告人の間で、本件土地の売買契約についての交渉が開始され、同年末ころまでに、本件土地につき農振除外の認可がなされることを条件に、被告人がカナモトに対し転用目的で本件土地を坪単価三万円程度で売却することについて一応の合意が成立したことは、前記のとおりである。

右合意が成立した当時の被告人は、平成六年中には、本件土地の農振除外が認められるであろうと認識しており、カナモトに対してもその旨を説明していた。

(二) 平成七年一月一七日、カナモトから、塚田総務部長、成田工務次長、大館営業所長岩谷及び同年二月一日付で岩谷の後任として大館営業所長に就任する予定であった長崎が出席して、当時の大館営業所(以下「営業所」という。)において、被告人との間で、本件土地の売買についての交渉が行われた。その席上、被告人からカナモトに対し、本件土地を転用する場合に返還しなければならなくなる補助金相当額を負担して欲しいという申入れがなされたことは、前記のとおりである。カナモト側では、右交渉の席上、補助金相当額も含めて坪単価三万円で売買したいとの申し入れをしたが、被告人はこれを拒否した。

結果として、カナモトは被告人の申入れを了承し、カナモトから被告人に対し、補助金相当額四四四万一三四〇円(暗渠排水事業の返還分三四四万九二〇〇円、土地改良総合整備事業償還分九九万二一四〇円、以下「本件前渡金」という。)が支払われ、被告人から、カナモトに対して、本件土地の売買が成立しない場合には右金額をカナモトに返還する旨の念書が交付されたことは、前記のとおりである。

(三) 長崎は、平成七年二月から大館営業所長となった。長崎は岩谷から、本件土地の売買契約を締結するには、本件土地について農振除外がなされること、農地転用につき許可を得ることが必要であること、被告人の説明によれば本件土地の農振除外は同月中には認められるとのことであること、本件土地の売買については国土利用計画法の売買予定価格の届出が必要であること、などの引継ぎを受けた。ところが、本件土地の農振除外がなされるはずの同年二月を経過しても、被告人からは何の連絡もなかった。不審に思った長崎が、同年三月に入ってから被告人に電話したところ、被告人は、年度末で事務処理が遅れているので、同年四月末か五月になれば農振除外がなされるから、それまで待ってくれという趣旨のことを述べた。

被告人は、同年三月中に、農地転用の許可申請書などの書類を持参して、営業所を訪れ、長崎に対し、四月末か五月の連休明けには本件土地の農振除外がなされるなどと説明した。ところが、同年五月の連休を過ぎても被告人からは何らの連絡もなかった。そのため、長崎は、右連休明けに、被告人に電話したところ、被告人は、秋田県の農政部から口頭で承諾は得ている、ただ四五ないし五〇日の公示期間が必要だから、それが終われば大丈夫であり、七月ころには農振除外がなされる、などと説明した。

しかし、同年七月になっても本件土地の農振除外はなされなかった。そこで長崎は、同年八月上旬ころ、被告人に電話したところ、被告人は、もうちょっと延びるが九月一杯までには何とかなる、農振除外がなされることは確実であり間違いない、などと説明した。

さらに長崎は、同年九月中旬ころ、被告人に電話をかけ、農振除外の進展について尋ねたところ、被告人は、間違いなく農振除外がなされるから九月末まで待ってくれという趣旨のことを述べた。

(四) 長崎は、同年一〇月五日、被告人から電話を受けた。被告人は、長崎に対し、本件土地の農振除外が認められなかったことを報告したうえで、本件土地について大館市から残土捨て場として貸してくれないかという伺いが出ており、これに応じて土地を貸して残土が入れば地目が雑種地に変わるから売買が可能になる、という趣旨の話をしたが、長崎にはどういうことか理解できなかった。

被告人は、右電話後の一〇月六日か七日、営業所を訪れ、長崎に対し、本件土地の農振除外が認められなかったことを謝罪したうえ、本件土地について大館市から残土捨て場として貸してくれないかという伺いがきて貸すことにした、貸すと土地が公共性のある土地になり、農地を道路拡幅のために利用する場合と同じ扱いとなるため、平成八年四月一杯くらいで雑種地になる、雑種地になれば売買契約ができる、農振除外はなされるし、転用許可もいらなくなる、購入後すぐに工事にとりかかれる、などという趣旨のことを述べたが、長崎には、なぜ農振除外や転用許可の必要がなくなるのか理解できなかったので、同人は、何がなんだかよくわからないと述べた。すると被告人は、この方法には、副知事をはじめ、鈴木県議、大館市長などが参画しているなどと述べた。

被告人の右発言を聞いた長崎は、被告人が何がなんでも本件土地を売却したいんだな、と思うと同時に、それまで本件土地の農振除外がなかなか認められず、最終的にも認められないことが確定したにもかかわらず、その直後にタイミング良く残土捨て場に使用して雑種地にするという話が出てきたことを不審に思い、政治的な策略でもって本件土地の売却を可能にするのかなどとも考えたが、いずれにしろ、不審な話であったことから、本社に連絡して返答する旨応えて、被告人に帰ってもらった。

長崎は、その後直ちに、本社の塚田部長に電話をかけて、右被告人から聞いた話を説明して、その決裁を仰いだところ、塚田部長からは、本件土地の農振除外が最終的に認められなかったからには、売買の話は白紙に戻すこと、したがって、被告人から本件前渡金の返還を受けること、などの指示がなされた。

そこで長崎は、被告人に電話し、本社の方では、本件土地の売買の話を白紙に戻すということになったので、本件前渡金を返還して欲しいという趣旨のことを述べた。これに対し被告人は、せっかくこの間説明した方法で売却しようとしているのになぜ白紙に戻すのか、平成八年四月末まで待ってくれなどという趣旨のことを述べて、本件前渡金の返還に応じる態度は示さなかった。その後も、長崎は、本件前渡金の返還を受けるべく被告人に何度か電話したが、被告人は、すぐ返せないから少し待ってくれという趣旨のことを述べた。

長崎は、その後二、三日以内に、前記のとおり被告人から聞いたことについて、自分なりにまとめた文書を作成し、平成七年一〇月一一日付で、本社の塚田部長宛にファックスした。

(五) 長崎は、同年一〇月下旬ころから、本件土地とは別の営業所移転用地を探すようになり、同月末ころまでには、移転用地の候補として大館市釈迦内に所在する土地(以下「本件候補地」という。)を選別し、所有者に対し、土地購入の交渉の申し入れをなした。しかし、本件候補地は、本件土地と比較した場合に、道路との高低差が大きく造成費用が嵩むことが予想されたこと、間口の比較的狭い細長い形状の土地であって二〇〇〇坪程度しかなく営業所用地としては必ずしも適当ではなかったこと、大館市の北部に位置しており、大館市の中央部に位置する本件土地と比較すれば立地条件が悪いこと、などから、カナモトでは他により適当な土地がないかと物色していたこともあり、本件候補地の売買交渉はなかなか進展しなかった。

そのような中の同年一一月下旬ころ、被告人が、本件土地についての被告人と大館市との間の使用貸借契約書の写しを持参して営業所を訪れ、長崎に対し、このように本件土地について大館市と契約を結んだから将来的には雑種地になるということを説明した。これに対して、長崎は、カナモトとしては白紙に戻すということなので本件前渡金を返還して欲しいという趣旨のことを述べたが、被告人は待ってくれと述べるだけで返還に応じる態度は示さなかった。

長崎は、その後も、営業の途中に通りかかったときなどに本件土地の様子を確認していたが、平成八年三月中旬から下旬にかけて、本件土地に土砂捨て場用の入り口が設けられていることに気がついた。さらに同年三月下旬から四月上旬までに、本件土地に土砂が搬入されていることに気がついた。

長崎としては、右のとおり本件土地に土砂が搬入されたことを現認はしたものの、被告人の説明どおりに雑種地になって売買できることになるかどうか不安であったことから、同年三月末ころから、本件候補地の所有者と本格的な売買交渉に入ったが、所有者の提示した売値は坪単価八ないし九万円であった。

この時点におけるカナモトの方針としては、本件候補地のほうが本件土地よりもはるかに条件は悪いものの、本件候補地を購入する場合には、それまでの営業所も残して二店舗体制として営業面を強化する、というものであった。

(六) 長崎は、同年四月上旬ころ、被告人に電話し、他の土地を見つけたので本件土地の購入はしない旨を述べたところ、被告人は、同月末か連休明けには本件土地が雑種地になるから待ってくれ、という趣旨のことを述べた。しかし、カナモトは、本件候補地の売買交渉を進め、長崎は、上司の指示で、本件土地と本件候補地を比較対照する資料を作成するなどした。

長崎は、同年五月の連休明け早々に、被告人に電話し、本件土地の様子を確認したところ、被告人は、法務局の地目検査が遅れているが、五月の第三週までには本件土地が雑種地になるという趣旨のことを述べた。これに対し、長崎は、別の土地について交渉を進めているからもう本件土地を購入することはないという趣旨のことを述べた。

長崎は、同年五月の第三週ころに、被告人から、本件土地が雑種地になったという電話連絡を受けた。長崎は、その後まもなく、本件土地を見に行ったところ、田圃の畦畔より若干高い程度に盛土がなされており、その上に、重機が均したような跡が残っていた。これを見た長崎は、この程度で雑種地になるのか、という印象を持った。

被告人は、同月下旬ころまでに、営業所を訪れ、長崎及びその上司らに対して、本件土地の地目が田から雑種地に変更されたことが記載された登記簿謄本を示して、本件土地を購入してくれるよう申し入れたが、カナモト側では返答を留保した。その後長崎は、上司と相談した結果、当初の合意に基づいて本件土地を購入することとして被告人に連絡し、その後、売買契約締結に向けての最終的な交渉が開始された。

被告人は、同年六月下旬ころ、長崎に対し、本件土地の売買代金の総額が八〇〇〇万円を超えることになるが、そうなると税率が上がるので、土地の売買代金が八〇〇〇万円を下るようにして欲しい、ついては、本件土地に土の搬入をしてあるので、土地の売買と土の売買に分けて契約して欲しい、などという申入れをなし、結果として、カナモトは右申入れを了承した。

同年七月一七日、被告人とカナモトの間に、被告人がカナモトに対し本件土地を八三七三万三一一九円(一平方メートル当たり九〇七五円、坪当たり約三万円)で売却する旨の売買契約が成立したが、契約書については、前記被告人の申入れの趣旨に従って、被告人がカナモトに対し本件土地を代金七六五八万二三五七円(一平方メートル当たり八三〇〇円)で売却する旨の土地の売買契約書と被告人がカナモトに対し土を代金七一五万〇七六二円(一平方メートル当たり七七五円)で売却する旨の土の売買契約書が作成された。

(七) 同年一一月下旬ころまでに、本件土地についての開発許可が下りたので、カナモトは、同年一二月一七日、被告人に対し、本件土地の売買代金を支払った。右支払は、被告人の希望によって、土地代金名目分の七六五八万二三五七円については、額面四〇〇〇万円と額面三六五八万円の二通の小切手でなされ、土代金名目の七一五万〇七六二円は現金でなされた。また、同月一九日、本件土地について、被告人からカナモトに対して、売買を原因とする所有権移転登記がなされた。

(八) カナモトは、平成九年一月一三日ころから、業者に依頼して本件土地の造成工事を開始し、同年四月一四日ころまでには、既に投棄されていた残土の上にさらに約一万五九五〇立方メートルの土を入れ、造成工事を完成させた。少なくとも、右造成工事完成時には、本件土地の現況は農地でなくなっていた。

五  右四の事実認定についての補足説明

1  被告人は、小畑市長や大館市の職員、県議会議員などに対して、本件土地の農振除外申請が認められるように県に働きかけてくれるよう依頼したことはないし、大館市の職員に対して、本件土地の農振除外への協力を依頼したこともない、ただ、鈴木県議、阿部助役、佐々木部長などに、右申請がどうなっているのか確認したことがあるだけである、などと供述する。

しかしながら、前記四6で認定した客観的経緯、すなわち、前記四6(一)のとおり、北秋田農林事務所のそれまでの先例に照らせば、右のように、農林事務所が一旦協議書に対して異議を述べた場合に、右異議の理由となった原因が解消されていないにもかかわらず、同様の案件について再度協議書が提出されるということは異例の事態であったこと、前記四6(三)のとおり、小畑市長、阿部助役、鈴木県議、菅原県議などから、秋田県農政部の幹部や担当者のみならず、副知事に対してまでも、本件土地の農振除外について、前例のないほどの陳情がなされたこと、前記四6(六)のとおり、右県議や市長などによる度重なる陳情を重く見た秋田県農政部の主導により前例のない会議が大館市役所で開かれたこと、などによれば、被告人が市長、助役、県議などに、右のような県に対する働きかけを強く要請していたことが推認されるというべきである。のみならず、小畑市長、阿部助役、佐々木部長、鈴木県議は、いずれも、被告人から本件土地の農振除外について県に陳情してくれるよう直接依頼を受けたことがあると一致して供述しているのであって、以上によれば、被告人が、これらの者たちに対して、本件土地の農振除外が認められるように県に働きかけてくれるよう依頼していたことは明らかであり、これに反する被告人の供述は全く信用できない。

したがって、前記のとおり被告人は、小畑市長、阿部助役、佐々木部長、鈴木県議、菅原県議などに本件土地の農振除外が認められるよう県に働きかけてくれるよう依頼していたものと認められ、右によれば、佐藤が供述するとおり、被告人は、佐藤に対しても、本件土地の農振除外が認められるよう協力してくれるよう要請していたものと認められる。

2  被告人は、平成七年一〇月六日、北秋田農林事務所において、佐藤とともに長岐課長と会話したことは認めるものの、その際、本件手法については、売買でなくとも地目変更ができるのか確認しただけで、それ以外の説明は一切聞いていない、長岐課長が六法のコピーを示して自分に何かを説明したことなどない、という趣旨のことを述べる。

しかしながら、右被告人の供述は、初対面の長岐課長と挨拶を交わした後、いきなり本件手法に関して地目変更できるかを確認し、それで目的を達したので、本件手法の話は直ちに止めてその後は比内鶏の話をした、というものであって、事の経過としてやや不自然なものであり、それ自体、真実体験したことを記憶どおりに話しているのか、疑問が生ずる内容である。

これに対し、長岐課長と佐藤は、当時の長岐課長と佐藤及び被告人間の会話について、最初に被告人と長岐課長との間で比内鶏に関することが話題となり、その後本件手法の話になり、長岐課長から、一〇月四日に長岐課長が佐藤に説明したのとほぼ同趣旨の説明、すなわち、本件手法について、その法律上の根拠をすべて明示し、大館市が本件土地を土石捨て場として借りることが必要不可欠な場合には、これを借りて使用することができ、その場合には地目変更ができる、という趣旨の説明がなされ、そのうえで長岐課長が、農地を守る立場の自分がこのようなことを勧めたと理解してもらっては困るなどと述べたということを、両名一致して、詳細かつ具体的に供述しており、事の経過としても格別不自然な点もなく、前記被告人の供述と比較してはるかに信用できるというべきである。

そのうえ、被告人は、捜査段階では、一〇月六日に長岐課長から六法を示されて説明を受けたことを認めていたのであり、このことからも、ただ一点地目変更のことだけを確認したとの被告人の供述は到底信用し難い。

以上によれば、被告人が、一〇月六日、長岐課長から、本件手法の法的根拠、それが適法となるための法律要件について、何ら説明を受けていないという趣旨の前記被告人の供述は到底信用できず、前記四7(六)のとおり認定できるというべきである。

3(一)  被告人は、一〇月五日に長崎に電話をして本件手法を説明したことはない、同月六日にカナモトの事務所を訪れて説明をしたのが最初であるが、その際、本件手法に、副知事をはじめ、鈴木県議、大館市長などが参画しているなどと述べたことはないと供述している。

(二)  長崎は、原審及び当審における二度にわたる証人尋問において、被告人から最初に電話を受けたのは一〇月五日であると明言している。長崎は、原審証人尋問の際に検察官から提示された同人作成の一〇月一一日付のファックス文書(甲八八、証拠物)を見て、被告人から電話を受けたのが一〇月五日であるという記憶を喚起したものであるところ、右文書は、長崎がカナモト本社に対して、本件土地の農振除外が認められなかったことやそれまでの経緯を報告するとともに、被告人から代案として本件手法の提示があったことを報告する内容の文書(文書中には、被告人から連絡を受けたのが一〇月五日であることが二度にわたって記載されている。)であるが、その内容に照らして、営業所移転用地の取得という業務遂行経過を本社に報告する目的で作成された文書であることが明らかであって、右作成経過からしても、自己の体験した事実をそのまま報告したものと推認され、これを見て記憶を喚起したとする長崎の供述の信用性は極めて高いと解される。しかも長崎は、当初被告人から電話で本件手法の説明を受け、その後カナモトの事務所を訪れた被告人からさらに本件手法の説明を受け、よく理解できない部分もあったものの自分なりに理解してまとめたものを本社に報告したと述べており、右文書作成の経緯についても、間に土日や祭日が入ったために文書の作成日が一一日となったが真実自己が体験したことを記載したものであって、右文書の記載内容に間違いはないと思うと供述しており、右供述は、原審から当審まで一貫して維持されている(原審は、ファックス文書を証人長崎の記憶喚起に用いており、ファックス文書でその記載内容の事実を認定しているわけではないから、伝聞法則には違反しない。)。

これに対して、一〇月六日にカナモトの営業所を訪問して初めて本件手法の説明をしたとする被告人の供述は、これを裏付ける客観的証拠はなく、長崎の供述と比較してはるかに信用性が劣るものといわざるを得ない。

(三)  長崎は、被告人から、本件手法について副知事をはじめ、鈴木県議、大館市長などが参画していると聞いたことを、自分の明確な記憶に基づくものであるとして、一貫して供述しており、その供述は、再三にわたる弁護人の反対尋問に対しても、いささかも揺るぐことなく維持されている。そのうえ、長崎の供述は、被告人が本件手法を説明するに際して不正を匂わせたという趣旨のものであって、捜査の当初から本件土地を無許可転用したとの嫌疑をかけられているカナモト及び長崎にとっては不利になることはあっても有利になることはない内容のものであるから、長崎がこのような嘘をつく合理性は全くない。これらのことからして、長崎の供述は高い信用性を有するというべきである。

また、被告人から本件手法を聞いたときに、本来農振除外が認められないものを政治的策略によって可能にするのだと感じたという長崎の供述は、それまで被告人から、もう少しで本件土地の農振除外が認められるからなどと、再三にわたり売買契約の締結を待たされてきた挙げ句に、最終的には農振除外が認められないという結果を聞いて失望し、その直後に、別の方法で本件土地を地目変更して売買することが可能になるという話が出てきたという、極めて希な経緯を経験した長崎が、そのときに感じた素直な感想を記憶に止めたものとして、いかにも自然なものであると解されるのである(実際、本件手法は、政治的か否かはともかくとして、いわば「策略」によって違法に農地を転用、売却しようとしたものであって、右長崎の感想は、まさに正鵠を射たものだったのである。)。本件手法に副知事などが参画しているという前記説明がなかったとしても、本件経緯に照らせば、長崎は本件手法に何らかの不審の念を抱いたであろうと推測されるものの、右説明がなければ、「政治的策略」であるとまで感じることはなかったと解されるのである。

このように見てくると、真実副知事らが参画したかはともかく、長崎が被告人から本件手法についてこれらの人々が参画していると聞いたことは間違いのないことと思われる。

(四)  以上検討したところによれば、長崎の供述は、極めて高い信用性を有するというべきであり、これに反する被告人の供述は信用できず、前記四8(四)のとおりの認定ができるというべきである。

4  被告人は、佐藤に対して、どうなっているというふうなことは言っているが、早く土を入れてくれとかいうことは一言も言ってないなどと供述している。

しかしながら、被告人が度々佐藤のもとに来て土を入れるよう要求していたことは、佐藤のみならず、当時佐藤と同じ部屋で勤務していた野呂補佐も明確に供述しているところであるし、被告人が平成八年二月に市長室を訪れて、市長及び佐藤に対して本件手法が約束どおり実行されないことについて抗議したことは、被告人の自認するところであるが、本件土地に全く土砂が搬入されていない状況にあった右当時に、本件手法が約束どおりに実行されないとして抗議するということは、土砂を入れろと言う表現を使用しないというだけで、本件土地に早く土砂を入れて雑種地にするよう要求したことにほかならないのであり、したがって、被告人は、少なくとも平成八年二月には、市長室に赴き、市長及び佐藤に対して、本件土地に早く土砂を入れるよう要求しているのであって、そうすると、佐藤に対して、早く土を入れるよう要求したことがないとの被告人の供述は全く信用できず、結局、佐藤及び野呂補佐の供述が信用できるというべきである。

また、被告人は、右のとおり市長室に赴いた際に、そこで佐藤と声高に言い合ったことは認めるものの、佐藤が、被告人に対し、右から左、ないもの入れられるか、ない土を入れられるかなどという趣旨の発言をしたことについて、これを否定する供述をしている。しかしながら、野呂補佐は、右市長室でのやりとり以外にも、被告人が佐藤のもとを訪れて本件土地に土を入れろと要求したのに、佐藤はないから入れられない、という趣旨の発言をしたことがあると供述しており、また、当時、大館市には本件土地に入れる土砂がなく佐藤自身も困っていたことは動かせない事実であるから、ない土を入れられない、ということは、まさに当時の佐藤自身の心境を吐露したものと解することが可能であり、佐藤は、このような発言に至った理由について、本件手法を実行するために期限を決めて本件土地を借りているのに、直接市長のもとに抗議されたことに腹が立ったために、そのような言葉で言い返してしまったという説明をしているが、自分が担当して実行している本件手法について、自分を飛び越えて市長に抗議されたことに立腹し、思わず正直な心境を吐露したというものであって、自然なものと解される。このように、佐藤の供述は、被告人の供述よりは、はるかに信用できるというべきである。

以上によれば、前記四7(八)のとおり認定できる。

六  被告人とカナモトが本件土地の売買契約を締結した当時の本件土地の農地性について検討する。

弁護人は、被告人とカナモトが本件土地の売買契約を締結した平成八年七月当時本件土地は既に非農地となっていたと主張する。

しかし、農地が非農地となったというためには、客観的に見て当該土地が農地として使用できない状態になること、すなわち、農地としての肥培管理が不能もしくは著しく困難となることが必要であるところ、前記四で認定した事実に証拠を総合すれば、被告人は平成七年秋まで本件土地で稲作をしていたものであって、同年中の本件土地の現況は田であったこと、その後本件土地は、平成八年一月ころまでに、鈴木興業によって、表土が剥がされて道路から見て奥の畦側に寄せられ、さらに同年三月から四月にかけて石戸谷建設及び花岡土建によって合計約三六〇ないし四六〇立方メートルの土砂が搬入されたこと、しかし、右土砂の量は、九二〇〇平方メートルを超える本件土地の面積と比較してわずかであり、それゆえ本件土地は、右搬入された土砂を均した後の同年五月中旬ころ小畑主査が現地確認をしたときも、周囲の田面の高さと比較して一〇センチメートル位高くなっていた程度であり、右搬入された程度の土砂を耕作用の土砂に入れ替えれば耕作地として使用することが可能であったこと、本件土地の地目変更登記を担当した石川が同年五月二二日に本件土地の現地確認をしたときは、本件土地全体の一〇分の一弱程度の部分に、他の部分よりも一〇ないし二〇センチメートル位の高さに土砂が均されており、その部分については土砂捨て場の現況を呈していたものの、その他の部分においては前年秋に稲刈りした後の稲株が残っているのを確認できた程であって、現況は明らかに田のままであり、本件土地全体としては、いまだ田といえる状況にあって、少なくとも、農地としての肥培管理が不能もしくは著しく困難となるような状況にはなく、したがって本件土地は依然として農地であったこと、以上の事実が認められる。

そして、右地目変更当時から被告人とカナモトが本件土地の売買契約を締結するまでの間に、本件土地の現況が変化したことを窺わせる証拠はないから、右売買契約時における本件土地の現況も、いまだ農地のままであったと推認される(なお、法務局が、本件土地について田から雑種地への地目変更登記を認めたのは、大館市という地方公共団体が土砂捨て場として使用することを明言していたことから、将来的には土砂が大量に搬入されて現況が雑種地になると信用し、現況主義に違反した取り扱いをしたものであることは、前記四7(九)で認定したとおりであり、したがって、右地目変更登記は、その時点では実体に反した無効な登記というべきであるから、本件土地の地目変更登記が認められていることは、右認定を何ら左右しない。)。

七  実行行為等客観面について検討する。

1  前記四で認定したところによれば、大館市が本件土地を土石捨て場として借り上げ雑種地として地目変更登記をした後本件土地を被告人に返すという本件手法というものは、地方公共団体が公共工事のために必要不可欠な土砂捨て場として農地を使用する場合には、農地法四条所定の除外事由に該当し、同条の許可なくして適法に農地を転用することができることに目をつけて、真実は、大館市には本件土地を土砂捨て場として使用する必要性がなく、したがって、同条所定の除外事由に該当する場合ではないのに、その必要性があることにして、あたかも法定の除外事由に該当する場合であるかのように装い、同条所定の許可を得ることなく、違法に本件土地を転用しようというものであるということができる(なお、結果としては、本件手法を実行して本件土地の地目変更をして本件土地を被告人に返還した時点では、本件土地の現況は農地のままであったために、いまだ転用行為は未遂状態に止まっていた。)。

2  そして、本件手法実行の過程を客観面から検討すると、前記認定のとおり、佐藤が部下に命じて工事請負業者をして本件土地に土砂を捨てさせたことは、無許可転用の実行行為に当たり、実行行為に着手したものと認められ(被告人も、業者に依頼して、本件土地の表土を剥いで寄せたり、搬入された土砂をブルドーザーで均したりしている。)、佐藤が部下に命じて本件土地の地目を雑種地に変更する登記の嘱託をして、地目変更登記を実現したことは、右地目変更によって、農振法及び農地法の制限を受けることなく被告人がカナモトに本件土地を売却することが適法であって何ら問題がないかのような外観を作出し、被告人からカナモトへの所有権移転登記までをも可能にするものであって、無許可転用目的所有権移転の実行を容易にすることを目的とした、そのための極めて重要な準備行為であったと認められる。被告人は、佐藤の求めに応じて、右地目変更登記を実現させるべく、登記嘱託に必要な使用貸借契約書及び登記承諾書の作成に応じているのであるから、佐藤と協力して右重要な準備行為を行ったものと評価できる。

また、本件手法が実行された後の被告人及びカナモトの行為を客観面から検討すると、被告人がカナモトと本件土地の売買契約を締結したことが無許可転用目的所有権移転の実行行為に該当することは前記のとおりであり、カナモトが右契約締結後、本件土地に大量の土砂を入れて造成し、本件土地を非農地にしてしまったことは、無許可転用の実行行為に該当する。

八  犯意、共謀、農地法潜脱の認識等主観面について検討する。

1  本件手法を実行した際の佐藤に、被告人と共に、知事の許可を受けないで、農地である本件土地をカナモトに売却し、同土地上に同社大館営業所の新社屋等を建てるため同土地を敷地として造成することを実現しようという意思があったこと、佐藤が右七2に述べた本件手法を実行する過程の各行為の客観面を認識認容した上で各行為を行ったことは明白であって、佐藤の自認するところである。のみならず、佐藤は、自ら実行行為の一部を行った本件土地の無許可転用行為だけでなく、自らは実行行為を行っていない無許可転用目的所有権移転行為(被告人とカナモトとの売買契約締結行為)についても、被告人とともに共謀共同正犯として責任を負うことを自認しているのである。

2  ところで、前記四で認定したところに原審証拠を総合すれば、被告人は、一回目の異議回答がなされた後、佐藤に対して、本件土地の農振除外が認められるよう協力してくれるよう要請し、佐藤も右要請に応じているところ、被告人は、債務返済のために本件土地を転用目的でカナモトに売却する必要に迫られ、右売却を可能にするために本件土地の農振除外申請をしており、佐藤も右被告人の事情を熟知して被告人の要請に応じていたのであるから、被告人と佐藤との間には、本件土地をカナモトに売却することを可能ならしめる手段として、本件土地の農振除外が認められる必要があること、そのために佐藤が被告人に協力することについての意思の疎通があったと認められる。右によれば、二回目の異議回答がなされた後の佐藤が本件手法を実行しようと決意したことは、それ以前から、本件土地をカナモトに売却し、新社屋等の敷地にすることを可能ならしめるために被告人に協力する意思のあった佐藤が、右売却実現のための一手段として、本件手法を採用したものと見ることができる。

そうすると、平成七年一〇月六日、北秋田農林事務所から戻る途中の車内で、佐藤が被告人に対し本件土地を貸してくれるかと申入れ、被告人がこれを了承するとともに、協力すると述べた時点で、少なくとも、佐藤と被告人の間には、本件土地をカナモトに売却し、新社屋等の敷地にすることを可能ならしめるための手段として本件手法を実行することについての意思疎通があったものといえる。

3  そこで次に、被告人に、本件手法が農地法を潜脱し、これに反する違法な行為であるとの認識があったか否かについてみる。

(一) 被告人は、原審公判において、本件手法を知り、これに協力した経緯等について、大要以下のとおり述べている。

本件土地を大館市に土砂捨て場として貸して地目変更し、雑種地にして返してもらうという本件手法は佐藤から聞いて初めて知った、同年一〇月六日に教育委員会に用事があって大館市役所に赴いたところ、佐藤から呼び止められ、真中地区の集落排水事業やふるさと農道整備事業で土砂が出るので本件土地を土砂捨て場として借りたいとの申入れがあった、これに対し、貸してくれといっても転作にもならないし、減反にもならない、農地に土砂を捨てることはできないはずだ、誰も貸す人はいないだろうと答えたところ、佐藤は、収用法を使ってやれば、本件土地に土砂を入れて雑種地に地目変更することができる、手続は一切佐藤の方でやる、などと本件手法の説明をした、それで、本件手法によれば、農振除外手続を経ることなく本件土地の地目変更ができるのかと思った、さらに佐藤が阿部助役に会ってくれと言うので一人で阿部助役のもとに赴いた、阿部助役からも、本件土地を土砂捨て場として貸して欲しい、土地収用法を適用してやる、県の指導もある、などと言われた、それで、大館市は土砂捨て場を必要としており、自分も本件土地を転用目的で売却したいと思っていたので、双方にメリットがあることであるし、土地収用法でやるということだったので、法的なことはわからなかったが本件手法により本件土地を適法に転用できるものと理解し、できるだけ協力しますと述べ、さらに佐藤のもとに戻って、県の指導もあるそうでないか、それならば協力すると言った、その後佐藤と二人で北秋田農林事務所に行って長岐課長に会った、長岐課長から地目変更できることが確認できたので、北秋田農林事務所から市役所に戻る途中、佐藤に対し、大館市に本件土地を貸すこと、すなわち本件手法の実行に協力することを完全に了承した、同日午後カナモトの営業所に赴き長崎に対し、本件土地の農振除外が認められなかったことを謝罪した後、大館市から本件土地について土砂捨て場として貸して欲しいと言われており、これに応じれば土地収用法で地目変更できるという、本件手法を説明した、同日の段階では、大館市から本件土地を貸してくれと言われてこれを了承しただけで、有償か無償かという話は出なかった、その後も有償か無償かについて大館市からは何の説明もなく、同年一一月二二日になっていきなり契約書を見せられ、それを見て初めて、無償であること、期間が同年一二月一日から平成八年三月末日であることがわかった、自分の方にも契約のメリットはあるので有償は無理だとは思っていたが、佐藤に対し、せめて整地費用くらいは市で持ってくれと言ったところ、佐藤は時期的に予算措置ができないと言ったので、納得して引き下がった、自分としては、本件手法について、佐藤が当初から工事名を上げて土砂が出るために大館市で土砂捨て場を必要としているという説明をしていたこと、助役も県の指導もあると言っていたこと、北秋田農林事務所の長岐課長からも地目変更できることを確認したことなどから、たまたま自分にも利益があることではあるが、大館市にも必要があってやることなので、適法なものと信じて疑わなかった、本件については佐藤に騙されたという気持ちである。

このように、被告人は、佐藤の説明などによって、大館市が本件土地を土砂捨て場として使う必要がある場合には転用について農地法所定の許可はいらなくなるものと信じ、また、大館市に真実本件土地を土砂捨て場として使用する必要があると信じていた、というもので、要するに、被告人は本件手法が農地法所定の除外事由に該当するものと誤信していた、そのために本件手法が適法なものと誤信していたというのである。

(二) これに対し、佐藤は、本件手法を実行する過程での被告人との関わりについて、大要以下のとおり述べている。

平成七年一〇月六日、呼んでもいないのに被告人が農林課にやってきて、「県でできると言っているそうではないか。」「それでできるんだったらもっと早くやってくれればよかったではないか。」「自分でもなんぼでも協力するから、なんとかしてくれ。」などと述べたので、本件手法のことを知っていてこれを実行するよう言っているのだと思った、助役からでも本件手法のことを聞いて来たのかと思って、大館市が土地収用法の公共事業の土砂捨て場として本件土地を借り、雑種地に地目変更して被告人に返すという本件手法を説明した(ただし、その際に、大館市が土砂捨て場を必要としているとは言っていない。)、その後二人で北秋田農林事務所に行って長岐課長に会った、長岐課長は、佐藤と被告人に対して一〇月四日のときとほぼ同様の説明をしたうえ、このように大館市が公共事業の遂行に必要であれば農地法所定の許可なしに農地を土石捨て場等に使うことは法律上問題はないが、農地を保護するという農林事務所の立場からいえば好ましいことではない、ただこのようなことを行うかどうかは、市が公共事業のメリット、農地がつぶれるデメリット等を総合的に判断して決めることであり、その判断について農林事務所としてはどうこう言うことはできない、何も言えない立場にある、このような方法は農林事務所の職員という自分の立場からすれば好ましいものではないから、自分はこのような方法をやれと言っているものではないし、やれと言ったと言われても困るなどという趣旨のことを述べた、北秋田農林事務所から大館市役所に戻る車中で、被告人に対して土地を貸してくれるかと尋ね、予算もなかったことから借りるにしても金は払えない、借りて土砂置き場にしてもどれくらいの土が入るか分からないなどと言ったところ、被告人は、なんでも協力するからやってくれ、地目変更して返してくれれば金はいらない、土の量は問題でない、などと言った、その後被告人に対して使用貸借契約書の作成を求めたときにも、なんでも協力する、地目変更して返してくれればいいと言っていた、本件土地の貸借について被告人から金を出してくれと言われたことはないし、どこの工事の土砂を捨てるのかと聞かれたこともない、このような経過からして、被告人は、最初から本件手法が違法なものであることを知っていたと思う、本件土地には平成八年二月末まで土砂は搬入されなかった、同月中に被告人がこの点について市長に直接抗議に来た、市長から呼ばれて市長室に行ったところ、被告人は「これ方、なんもやる気ね」などと興奮した様子で言った、自分も被告人が市長に直接抗議に来たことに腹を立て、「そう言われたって、右から左、ねえもの入れられるか」などと言い返した、これ以外にも被告人は、本件土地に土砂が入らないことについて、佐々木部長や佐藤のもとに抗議に来たことがあった、自分が土がないと言うと、自分で土を入れるような話をしたこともある、同年三月ころには、被告人がかなり興奮した様子でやってきて二人きりで話したことがあり、そのとき被告人から、なんとしても地目変更して返してもらわなければならないという趣旨のことを言われた、本件土地が地目変更された場合にはカナモトに売却されること、カナモトに売却されれば盛土されて造成工事がなされることはわかっていた、自分が本件手法を実行したのは、上司の指示で本件土地の農振除外が認められるよう県に働きかけ、上司も同様の働きかけをする一方、被告人からもなぜ農振除外が認められないのかなどと抗議されるといった経緯の中で、本件土地の農振除外が大館市の重大な懸案事項と理解するようになっていたところ、監督官庁である秋田県の方から本件手法を教えられたために、県も黙認してくれるものと思い、上司も本件手法について同意し、被告人からもなんでも協力すると言われたからである。

(三) 以下に述べる諸事情に徴すると、被告人は本件手法が農地法を潜脱する違法なものであることを認識していたものと認められる(佐藤は、前述のとおり、それまでの経過からして、被告人は最初から本件手法が違法なものであることを知っていたと思うと述べているが、そう思うような客観的事情があったのである。)。

(1) 前記四で認定した経緯によれば、被告人は、多額の負債を整理するためにどうしても本件土地を売却する必要があるとして、本件土地の農振除外を申請し、大館市は右被告人の意向に添って、一度目の異議回答がなされたにもかかわらず、秋田県農政部の判断を無視するかのように、再度の申請を行い、右二度目の申請後は、被告人から依頼された大館市の幹部や県議において、右申請が認められるようにという趣旨で、前例のないほど執拗に秋田県農政部に対する陳情がなされ、それにもかかわらず、二度目の異議回答が出て農振除外が認められなかったのであり、のみならず、北秋田農林事務所から大館市に対して、被告人に農業振興地域制度及び農地法を遵守する趣旨の誓約書を提出させるようにとの指導がなされ、被告人は、所有農地の農振除外及び転用に関して農業振興地域制度、農地法を遵守し、農業振興に努める旨の誓約書を作成して小畑市長宛に提出しているのである。

本件手法の話は、右のような経緯の末に、農振除外が認められないことが確定し、かつ、被告人が小畑市長宛にその所有農地の農振除外及び転用に関して農業振興地域制度、農地法を遵守し、農業振興に努める旨の誓約書を提出したまさにその直後ころに出てきたものであり、しかも、その内容は、それまで本件土地を転用目的で売却するために申請してきた農振除外の手続及びその後の転用許可取得の手続を経ることなく、全く別の方法によって、結果として本件土地の転用目的の売却を可能にしてしまうものであり、本件土地が優良農地であるため農振除外は認めないとする秋田県農政部の判断を事実上覆すものであり、前記誓約書の趣旨にも反するものである。

そのうえ、被告人は、農業を営む市議会議員であって、六年間も農業委員を務めており、農振除外や農地の所有権移転や転用について厳しい法規制があることを熟知していた人物なのである。

そうすると、被告人が本件手法を知った後に、本当にそのような行為が適法にできるのか、自分のために便宜的に脱法行為を行おうとしているのではないかなどと、これを不審に思うのが自然であると解される。なぜなら、真実、本件手法が何の問題もなく適法にできるのであれば、もともと、前記四で認定した経緯において被告人が行ったように、長い年月をかけて、県議や市の幹部に依頼して県の担当者に働きかけをなしてまで、本件土地の農振除外が認められるよう努力する必要などなかったことになるし、それがどのような手法によるものであるとしても、優良農地である本件土地を現状のままで保護すべきとする趣旨の県の判断がなされ、被告人自身もその判断を尊重する趣旨の誓約書を作成した直後に、別途の方法で右県の判断を事実上覆すことができるということ自体が、常識的に考えて、いかにも不自然なことであって、脱法行為ないしは違法行為の疑いを生じさせるものだからである。

前記四で認定したとおり、本件手法を聞いた阿部助役が、あまりにもタイミングの良い話なので不正行為と誤解されないようにしなければならないと考えてその旨佐藤に述べたり、本件手法を聞いた長崎が、農振除外が認められないものを政治的策略で可能にするものと理解したことは、至極当然のことというべきである。

まして、前記のとおり、長岐課長が被告人と佐藤に対して、本件手法が法的に可能であることの説明をした後に、このように大館市が公共事業の遂行に必要であれば農地法所定の許可なしに農地を土石捨て場等に使うことは法律上問題はないが、農地を保護するという農林事務所の立場からいえば好ましいことではない、ただこのようなことを行うかどうかは、市が公共事業のメリット、農地がつぶれるデメリット等を総合的に判断して決めることであり、その判断について農林事務所としてはどうこう言うことはできない、何も言えない立場にある、このような方法は農林事務所の職員という自分の立場からすれば好ましいものではないから、自分はこのような方法をやれと言っているものではないし、やれと言ったと言われても困るなどという趣旨のことを述べたことが認められるのであるから、右のように本件手法の法的根拠を詳細に説明した長岐課長が、その直後に、わざわざ、農林事務所の職員という自分の立場を持ち出して、自分としては困るが市が判断すれば何も言えない、自分がやれと言ったと言われても困るなどと、不自然な念押しをしているのであるから、一層疑念を抱いてしかるべきなのである。

ところが、前記被告人の供述によれば、被告人はこれを当初から適法なもの(農地法所定の除外事由に該当するもの)と信じたというのであるが、その根拠は、以下に検討するとおり不合理なものである。

まず被告人は、本件手法を聞いて、法的なことはよくわからなかったが適法だと思ったと述べる。しかしながら、これまで検討してきた本件の経緯に照らすと、まずもってその法的根拠が明確でない以上、違法行為もしくは脱法行為ではないかとの疑いを持つのが自然である。被告人は、大館市が土砂捨て場を必要としているというのでこれを信じたと言うが、それまで大館市が個人所有の農地を土砂捨て場として借りた前例がなかったこと、同日以前に大館市が土砂捨て場を必要としていて第三者の土地を借りる必要があるという話、まして、本件土地を借りる必要があるなどという話が出たことはないことは、被告人の自認するところであり、そのような被告人が、本件土地の農振除外が認められないことが確定した直後に、いきなり大館市において本件土地を土砂捨て場に使う必要性が出たという話を不審に思わないなどということは、考えられない。

次いで被告人は、佐藤に言われて助役に会ったところ、助役からも同様の説明を受け、さらに県の指導でもあるようだと言われたので、これを信じたと述べる。しかしながら、被告人が助役からそのように言われたとしても、そもそも、本件土地については、優良農地であるためカナモトへの転用目的売却のための農振除外申請は認められない、というのが、公式的な「県の指導」であったはずであり、被告人も「県の指導」に応じて、以後所有農地について農地法等を遵守し農業振興に努める旨の誓約書を作成しているのに、その直後に、これと正反対の「県の指導」がなされたというのであれば、むしろ「指導」が違法なのではないかと疑うのが自然である。

以上によれば、本件手法の話が出てくる経緯及び被告人が本件手法の説明を受けた際の状況などに照らして、本件手法を知った当初の被告人が、本件手法について何ら不信感を持たずに適法なものと信用したというのは、いかにも不自然であるといわねばならず、その旨の被告人の前記供述は、その信用性に重大な疑問がある。

かえって、これまで検討した本件の経緯に照らして、被告人が、本件手法の話を聞いた際に、その法的根拠、土砂捨て場を必要とする大館市の具体的な状況、急遽土砂捨て場が必要になった理由や前例のないことを行う理由、県の指導があったとすれば、指導した部署、指導の根拠などを全く確認することもなく、本件手法への協力を申し出ていることからすると、むしろ、被告人は、本件手法が違法であると知っていたか、あるいはそこまでの確信はなくとも、違法であっても構わないと考えていたからこそ、確認しなかったものと思われるのである。

(2) 前記四で認定したところによれば、佐藤はもちろん被告人も、一〇月六日に北秋田農林事務所において、長岐課長から本件手法の法的根拠や適法要件について詳細な説明を受けているのであるから、遅くともこの時点では、大館市が公共事業の土砂捨て場として本件土地を借りて使用し、これを雑種地に地目変更するという手法が法的に可能であること、ただし、そのためには、本件土地を土砂捨て場として使用することが大館市にとって必要不可欠なものでなければならないことを知ったものと推認される。

そうすると、この段階で、被告人があくまでも適法に本件土地を売却しようと考えていたのであれば、佐藤に対して、具体的にどの工事現場で土砂捨て場を必要としているのか、本当に地目変更が可能な程度の土砂が入るのかなどについて説明を求めてこれを確認してもよさそうに思われる。前記四で認定したところによれば、佐藤は、平成七年一〇月六日以降本件手法が実行されて本件土地の地目が雑種地に変更されるまでの過程において、被告人に対して、本件土地を土砂捨て場として大館市に貸して欲しいとは言っているものの、本件土地を土砂捨て場として使用することが大館市にとって必要不可欠であるという説明をしたことはなく、他方、被告人も佐藤に対して、具体的にどの工事現場で土砂捨て場を必要としているのか、本当に地目変更が可能な程度の土砂が入るのかなどを全く確認することなく、本件手法の実行に協力しているのであって、このような被告人の行動に照らせば、被告人は、本件手法を当初から違法であると明確に認識していたか否かはさておき、少なくとも違法かもしれないが違法でも構わないと考えて行動していたのではないかと強く疑われる。

のみならず、前記四で認定したとおり、当時の大館市には、そもそも土砂捨て場として第三者の土地を借りなければならないような状況は全くなかったものであり、そのことは、被告人が本件土地に土砂を入れるように佐藤ら農林課職員に対して再三催促したにもかかわらず、平成八年三月になるまで本件土地には全く土砂は搬入されなかったことなどの客観的事実経過に照らしても、部外者である被告人にも容易に認識可能であったといえる。したがって、当時の客観的状況からしても、被告人において、大館市が本件土地を土砂捨て場として使用する必要がある(農地法所定の除外事由がある)と誤信するということは考えにくいというべきである。

以上によれば、被告人が、本件土地に土砂が入っていないことについて小畑市長や佐藤に抗議した平成八年二月以降も、本件手法が適法なものであると信じていた(すなわち、大館市が本件土地を土砂捨て場として使用する必要性があると信じていた)というのは、不自然なことであり、この段階においても、本件手法が適法であると信じていたとする被告人の供述は、その信用性に重大な疑問がある。

被告人は、本件土地について土砂が入らないことについて佐藤に抗議したところ、佐藤は、土が良かったので業者が基盤整備事業に使ったようだ、今後は土を入れさせるなどと言ったので、これを信頼して、使用貸借契約の延長に応じた、などという趣旨のことを述べるが、右佐藤との会話からすれば、むしろ大館市には本件土地を土砂捨て場として使用しなければならない必要性がなかったことが明らかであると解され、佐藤との間でこのような会話をしていた被告人が、本件手法を適法なものと理解していたとは考えにくいことである。また、被告人は、平成八年二月に、小畑市長のもとを訪ねて本件土地に土砂が入っていないことを抗議したが、その際同席した佐藤は右抗議に対して、ない土を入れられない、という趣旨のことを述べて口論となっている。被告人が、真実佐藤から説明を受けた方法が適法なものであり、大館市が真実土砂捨て場を必要としていると信じていたとすれば、捨てる土がないという佐藤の発言は大変な問題発言であるはずであり、少なくとも、この段階では、大館市に土砂捨て場として本件土地を使用する必要性がないのではないかという疑問を持つのが普通であると解される。ところが、被告人は、土がない事情や土砂捨て場が本等に必要なのか、といったことを佐藤に何ら確認することなく、その後も、本件手法に協力しているのであって、本件手法を適法と信じていた者の行動として、極めて不自然といわねばならない。

(3) 前記四で認定したところによれば、被告人は、本件手法を実行するに際して本件土地を無償で大館市に貸したうえ、本件土地に土砂を搬入するための防護柵の撤去費用、搬入された土砂の整地費用を負担している。

被告人が述べるように、真実被告人が大館市に本件土地を土砂置き場として使用する必要があると信じていたのであれば、そして、本件手法は大館市からの依頼に応じて行ったことであるというのであれば、なぜ、被告人が、本件土地を無償で大館市に貸したうえで、前記諸費用を負担しなければならなかったのか理解に苦しむところである。

この点被告人は、一〇月六日以降本件土地の使用料について、大館市から被告人に何ら話がないままに、一一月二二日になって、佐藤から使用貸借契約書を示されて無償契約であることがわかった、本件手法は本件土地の売却が可能になる点で自分にもメリットがあったために有償は無理だと思っていたので、せめて整地費用は負担してくれと言ったところ、時期的に予算措置が無理であると言われて納得し、自分で負担することとした、といった趣旨の供述をしている。しかしながら、佐藤は、被告人から整地費用を負担してくれと言われたことを否定しており、右被告人の供述以外には、被告人が大館市に対して本件土地の整地費用の負担を要求したことを窺わせる証拠はない。

被告人の供述によれば、被告人にもメリットがあることとはいえ大館市に必要があって被告人から本件土地を借りたというのであるから、大館市においてできる限り予算措置を講じるのが普通であり、真実大館市が必要とする費用であるならば、いろいろな形での予算措置が可能であることは市議会議員である被告人の熟知するところであるはずであり、予算措置が無理ということで直ちに納得するというのはやや不自然であるし、既に一〇月六日には貸借の話が出ていたのであって、被告人や佐藤にその気があれば予算措置が可能であったと思われ、以上によれば、被告人の説明は、必ずしも合理的なものとは言い難い。

前記四で認定したところによれば、被告人は、佐藤から本件手法の説明を受けたその当日に、土地の貸借の使用料については全く言及しないままに、本件手法への協力を申し出ているのであり、少なくとも被告人が大館市に対し本件土地の貸借を賃貸借にしてくれるよう申し入れたことがないことは被告人の自認するところである。また、前記被告人の供述するところによれば、被告人は、佐藤から本件土地を貸してくれと頼まれた一〇月六日から一か月半もの期間があったのに、それまで大館市から土地の使用料についての条件提示がなかったことを放置し、条件提示された当日に、しかも無償であって整地費用も自己負担となるというのに、特段もめることもなくこれを了承したというのである。これらの事情は、被告人が、当初から本件土地を有償で貸借するつもりがなく、整地費用等の諸費用についても自己負担するつもりであったのではないかと推測させる事情といえるし、また、これらの事情は、被告人が述べるように、本件手法について、大館市に必要があって大館市からの申入れに対して被告人が応じてやったとする被告人の説明に、必ずしもそぐわないものであり、むしろ、本件手法が被告人にとって必要なものであったために大館市で必要もないのに協力してやったのではないかと思わせるものである。

他方、佐藤は、本件土地の使用料について、前記のとおり、一〇月六日に被告人と二人で長岐課長のもとから大館市に戻る途中、予算はないから借りるにしても金は出せないと言った、これに対し、被告人は、金をもらう必要はない、本件手法により本件土地を地目変更して返してもらえば金など要求しない、などと言った、被告人から土地の貸借を有償にして欲しいなどと言われたことはないと述べているが、右供述は、前記のとおり、被告人に当初から本件土地を有償で貸借するつもりがなかったことを窺わせる事情が存在することと符合するものであって、被告人の供述よりは信用できるものと解される。

(4) これまで検討した被告人の不審な行動、すなわち、全く不自然な経過で出てきた本件手法について、直ちに実施を求めていること、長岐課長から本件手法の法的根拠や適法要件の説明を受けた後も、佐藤に対して、本当に大館市に土砂捨て場として本件土地を使う必要性があるのかを全く確認しないまま本件手法に協力していること、平成八年三月に至るまで、本件土地に全く土砂が搬入されないなど、大館市に土砂捨て場を必要とする事情がなかったことが客観的に判明してきた後も、この点を何ら不審とせず、ただ佐藤に対し、本件土地に土砂を入れるよう要求していたこと、本件土地の使用料や整地費用等を大館市に負担させることなくすべて自己負担したこと、などの行動は、被告人が当初から本件手法について、農地法を潜脱する違法なものであることを知っており(もしくは、違法かもしれないが違法であっても構わないと思っており)、しかも、大館市が被告人のために便宜を図って行ってくれているものであるとの理解のもとに行動していたとすれば、すべて、合理的かつ自然な行動として理解することができるのである。

(5) 被告人は、仮に、本件手法が違法であると知っていたなら、自分は本件土地の売却にこだわる必要はなかったとか、自分には違法行為に出る動機は全くなかったという趣旨の供述をしている。

しかしながら、被告人が少なくとも六〇〇〇万円を下らない多額の債務を抱えてその返済のために本件土地を売却する必要に迫られ、そのために、本件土地の農振除外の見通しについて、明らかに客観的情勢と異なる説明をしてまで、カナモトに売買契約の締結を待たせる一方で、何とか本件土地の農振除外を認めてもらうべく、多くの人に秋田県農政部への働きかけを依頼していたことは、前記四で認定した事実経過に照らして明らかであり、本件記録上、本件土地以外に被告人が農振除外などの手続を経ることなく、直ちに六〇〇〇万円以上の価格で売却できる可能性のある土地を所有していたことを窺わせる証拠はないこと、被告人は農協の理事でありながら農協に多額の借金があるために理事会にも出席できないという状況にもあったことなどによれば、当時の被告人は、借金返済などのために違法行為を犯したとしても不思議ではない状況にあったといわざるを得ず、被告人に犯行の動機がなかったとはいえない。

前記四で認定した経緯に証拠を総合すれば、本件手法は、秋田県から農振除外を認められず、本来ならば転用目的で売却することが許されなかった本件土地を、違法に転用目的で売却できるようにしてしまうものであり、被告人は、これによって、本来農地としてしか処分できなかった本件土地を宅地造成可能な雑種地の価格で売却し、多大の経済的利益を受け、多額の債務を返済しているのに対して、佐藤は、本件手法を実行する過程の平成八年四月一日付で、農林課長から産業部長に昇進し、平成九年四月一日付で建設部長に就任してはいるものの、本件手法の実行及び本件土地の売買によって経済的利益を受けたわけではない。

右によれば、本件手法は、これによって多大の利益を得る被告人のために、被告人と佐藤が協力して行ったと解するのがごく自然なことであり、この点で、被告人と暗黙の意思を通じたからこそ、本件手法を実行したのであるとの佐藤の供述は、合理的で説得力のあるものである。

これに対し、被告人及び弁護人の言い分からすると、大館市役所での出世を狙った佐藤が、独断で本件手法という違法な手段を考案して、被告人とは無関係に実行したということになるが、そうすると、佐藤は、被告人が頼みもしないのに、被告人には本件手法が違法であることを隠し、本来売却できない本件土地を高価で売却できるようにしてくれて、これにより被告人は、幸運にも多額の経済的利益を受けた、ということになるが、事の経緯として極めて不合理なものというほかはない。佐藤の立場からすれば、被告人が莫大な利益を得る犯罪行為、しかも被告人の協力がなければ実行できない犯罪行為を行うのに、被告人に対してこれを秘密にして適法行為を装って行う必要など全くない。

4  以上の検討結果を踏まえて、本件の主観面を通観すると、佐藤と被告人は、二回目の異議回答がなされる以前から、本件土地を転用目的でカナモトへ売却することを可能ならしめるために佐藤が被告人に協力することについて互いに意思を通じており、右売却を可能ならしめる手段として本件土地の農振除外が認められるよう互いに協力していたものであるが、二回目の異議回答がなされて本件土地の農振除外が認められないことが確定する一方で、一〇月六日までに、本件手法によれば、本件土地のカナモトへの売却が可能となることを知って、双方ともその実行を検討するようになっていたこと、同日北秋田農林事務所において長岐課長の説明を受けて本件手法についての疑問点を解消し、同事務所から大館市に戻る車中において、佐藤が被告人に本件土地を貸してくれるか、と述べたのに対し、被告人がこれを了承し、協力すると答えた時点で、互いに内心では本件手法が農地法を潜脱する違法なものであることを知りながら、少なくとも違法であっても構わないという気持ちで、本件土地のカナモトへの売却を可能にするためにこれを実行することについて合意し、その後相協力して本件手法を実行したものであること、本件手法を実行し、本件土地に土砂を捨てさせたりした結果、いまだ現況が農地であった本件土地の地目変更が認められてしまい、不動産登記簿の外観上は、農地法の許可なくして本件土地をカナモトに転用目的で売却することが可能となったこと、被告人は、このように地目変更は認められたとはいうものの依然として本件土地の現況が農地であることを知りながら、農地法の許可なくして本件土地をカナモトが建物敷地等として造成することを知りながらカナモトに売却したこと、以上の事実が認められる。したがって、被告人は、本件土地の無許可転用行為及び無許可転用目的所有権移転行為について責任を負うというべきである。

なお、弁護人は、本件土地について法務局が地目変更を認めているのであるから、仮に、その時点では、本件土地が客観的には農地であったとしても、被告人は、右地目変更が認められたことによって、本件土地が農地でなくなったものと信じるようになったから、その後カナモトに本件土地を売却した時点における被告人には本件土地が農地であることの認識はなかったと主張する。しかしながら、前記四で認定したとおり、被告人は、長年にわたり農業を営み、市議会議員として農業委員を六年も務めた経歴があって農地実務に詳しい人物であったこと、原審証拠によれば、被告人は、本件土地付近に自宅及び農地を所有しており、平成八年五月に、本件土地の現況確認に赴いた市職員と会って言葉を交わすなどしているのであって、地目変更がなされた時点における前述したような本件土地の客観的状況を認識していたと推認されることなどによれば、被告人には、地目変更がなされた以降も、本件土地が依然として農地のままであることの認識はあり、したがって、本件土地の売買契約時においても、右認識を持続していたものと認めるのが相当である。

また、本件土地の無許可転用の犯意についてみると、被告人は、本件手法の実行が転用を実現するものであることを知りながら、市に本件土地を貸して土砂を捨てさせ、あまつさえ自らも業者に依頼して土砂の地均しを行わせるなどその実行行為の一部を負担しており、更に、カナモトは、右被告人や前記佐藤によってなされた実行行為に加えて土砂を搬入し本件土地の転用を完成させて既遂の状態にしたものであるが、もともと、カナモトは、本件土地を右のように転用できなければ被告人から本件土地を購入することはなかったから、被告人も本件土地購入後のカナモトが本件土地を転用するという結果を、あらかじめ予見し認容していたのであって、少なくとも、被告人と長崎は、被告人から本件土地を購入した後のカナモトが本件土地の造成、転用を完成させるという客観的行為について、互いに意思を通じて了解していたことが明らかであるから、被告人は、本件土地の無許可転用行為全体について責任を負うべきである。

九  以上これまで検討してきたところによれば、原判決には事実誤認はなく、所論は理由がない。

第六  その他、弁護人は、原判決には審理不尽、判断遺脱、法令解釈適用の誤りがあるなどと主張する。

しかし、記録を検討しても、原判決に審理不尽、判断遺脱があるとは認められない。もっとも、原判決には、平成一〇年法律第五六号附則三条により改正前の農地法四条一項、五条一項を適用すべきなのに改正後の各条項を適用した誤りがあるが、判決に影響を及ぼすものではなく、その他原判決に法令解釈適用の誤りはない。

第七  よって、本件控訴は理由がないから、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用については同法一八一条一項本文により被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。

(編注)第1審判決及び第2審判決は縦書きであるが、編集の都合上横書きにした。

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